|
|
|
|
|
[一覧] << 前の日記 |
次の日記 >>
|
ダブリンからベルファストへ北上 2008/08/11の日記 |
08月11日 (月) |
|
ダブリンからベルファストへ北上
途中アイルランドの遺跡に寄る
タラの丘、ニューグレンジ、ドロヘダ、モナスターボイス
アイルランドの道は狭い それでも制限速度は100km!、市街地では60km
スピードをだして走っている
高速道路はほとんどない
両側は牧草地がほとんど
石積みの囲いの中にのんびりと牛や羊がいる
牧草地がずっと続いている
国土の16%が農地、47.7%が牧場並びに牧草地として利用されている
農業従事者は16万人、生産年齢人口(国民の67.5%)の、5.7%を占める
(以上2003年時点の統計値)
アイルランド経済は貿易依存度が高く、同時に農業、特に牧畜業に依存している
しかし貿易(輸出品目)の上位には農業生産物が登場せず、国内消費を満たす生産水準に留まっている
主要穀物では、オオムギ(116万トン、以下2004年の統計値)、次いでコムギ(85万トン)、第三位に馬鈴薯(50万トン)
野菜類ではテンサイ(砂糖大根、150万トン)が飛び抜けており、次いでキャベツ(5万トン)の栽培が盛ん。
畜産ではウシ(704万頭)が中核、次いで羊(485万頭)、ニワトリ(1280万羽)
畜産品である牛乳の生産(550万トン)は世界シェアの1.1%に達する
家は一階だて、窓があり、ドアがあり、煙突がある
日本のこどもの描く家の絵そっくりなのは不思議
建築の設計を見せ許可が下りないと家は建てられない
景観保持のため規制が厳しいらしい
気候が温暖なためか雨戸などない家がほとんど
衛星放送の受信アンテナもダブリン近郊を過ぎるとなくなった
庭は芝生がほとんど 植えた木は少ない
家庭菜園もあまり見ない
タラの丘
標高 180m
所在地 アイルランドミース州ナヴァン
緑の丘陵が続く、この場所からアイルランドの3/4が見えるとのこと
空が広い
ケルト族がアイルランドに渡来したあと、
おそらくは小さな王国がたくさんあった
その各王国のまとめ役として選ばれた王がタラの丘で儀式をしたらしい
6世紀までタラは上王の居住地であった
王の即位は立石の前で行われた この石が残っているだけである
その繁栄は失われたものの12世紀までこの役割は残されていたという
1798年のイギリスに対する反乱
ユナイテッド・アイリッシュメンはタラの丘にキャンプを構えた
5月26日の戦闘に敗れ400名が殺害された
19世紀ダニエル・オコンネルがタラの丘でアイルランド自治を訴える演説会を開く
この集会には100万人ものアイルランド人が集まった
映画『風と共に去りぬ』
主人公スカーレット・オハラの父の農場の名が「タラ」
この丘に由来する名だ
「明日はタラに帰ろう」と最後に書いた最終章から書きはじめたそうだ
マーガレット・ミッチェルは母方がアイリッシュだった
|
|
|
<< 前の日記 |
次の日記 >>
|
|
|
|