幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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日本にいる私の、日々の暮らし 07月18日 (金)
今週半ば、キャンプの物をそろえに大型(いまや中型か)スーパーに行った。
私が買い物を済ませた数時間後、このお店で通り魔的な事件があり、
主婦が刺されたとの速報。
まさか、こんなのんびりとした郊外の街で…
犯人は20代前半の若者という。

秋葉原の事件の記憶がまだまだ消えないというのに、
バスジャックは14歳。


最近、
1、雨宮処凛(かりん)という人の本を読み、
2、ラボ主催のフィンランド教育の講演を聴いたばかりで、
3、未来に向かって育ちゆく子の母である私としては、
この3つがタイムリーすぎるくらいに重なって、
ピシピシと感じることがある。

なぜいま、日本の若者が、親に、社会に怒りをぶつけるか、
不安と憤りで重苦しくなる。

雨宮処凛さんの本を読んで、
いまの日本、格差社会といわれる構造の中で、
若い人たちの命の扱われ方があまりにも軽んじられている現実を知った。
若者自身の自己肯定感など育ちようがない。

フィンランドの学校では、
子どもたちは小さい頃から、徹底的に教えられるのだそうだ。
自分のために学ぶ。
自分らしく生きるために学ぶのだということ。

「あなたは、あなたらしく存在していていいんだよ」という
先人である私たち大人からのメッセージが、
いつのまにか伝わっているフィンランドと
伝わりにくいまま大きくなってしまう日本の若者。

「競争原理の中では子どもの学力は伸びない。
社会の(所得)格差なく、教育の平等が保証されてこそ学力は伸びるのだ」と、
フィンランド教育の講演の中で、講師の先生は言い切っていた。
子どもたちの現場は、真逆に向かっているのではないかと悲観的になったりして途方にくれる。



23歳のとき
ブラジルのスラム街で
生きることでせいいっぱいの子どもたちをみて
「教育が大切と」と感じた、あの感覚はまちがいではなかった。
家族を養うために朝から働いている彼らが、
ちゃんと学校へ行き、
自分のために学び、
その知識と経験を人のために役立てる「生き方」としての仕事を見つけ、
収入を得ることができたなら、
社会はもっとよくなっていくのではないかと、
あのとき思った。

幼い命が健やかに育ち、
心身ともにしなやかに成長するということ。
「知る」ということの好奇心でいっぱいだった子どもころのまま、
生涯、学ぶ喜び満たされ続けるような社会が、いい。


「田上家」、そして「ラボ・たがみパーティ」という
小さな小さなスペースの中で私は、
今日も途方にくれたり、足元を見つめ直したりしながら、
なんとか倒れないようにふんばっている。
私ができることなど、あまりにも小さい。
ただ、
学ぶこと、育つこと、生きることの意味を考えている。

そうして今日もまた、
こりずにやってきてくれるラボの子どもたちと、向き合っていく日々。

明日からは夏休み…
我が家では
三度の飯に悩み、
朝から晩まで大声でどなりちらす日々に違いないけれど、
できるだけ子どもたちといっしょに自然の中に入って、
自然や環境の力を借りて学ぶ体験をさせてあげたい。
教科書やドリルをやったとき、「あ、これ知ってる。」と後から言えるような順番で。
知恵をしぼってそういうしかけをいっぱい考えなくては。
(フィンランドでは、先生も、子どもも、大人もいっぱい休みがあるというけれど、
これを考えれば、当たり前のことだ。)


ブラジルから帰った友人が教えてくれた。
「学校や社会も大事だけど、家庭でできることもたくさんあるよ」と。

子どもたちと過ごす毎日が、幸せであるということ。
それが、
「日本にいる私の、日々の暮らし」の中での『使命』」と見定めよう。
そして、
この夏休みを、大切に過ごすことにしよう。
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