幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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カウラ事件を描いたテレビドラマ 2008/07/08の日記 07月08日 (火)
カウラ事件を描いたテレビドラマ

カウラはオーストラリアの内陸にある
第二対戦中に捕虜収容所があった

そこで日本兵による大脱走事件があった
オーストラリアではよく知られた事件である

その事件を描いたドラマ
『あの日僕らの命はトイレットペーパーより軽かった』を見た
脚本は脚本家中園ミホの伯父の体験をもとに書かれた

カウラ暴動 Cowra Outbreak
http://www.ajf.australia.or.jp/aboutajf/publications/sirneil/dict/CowraOutbreak.html

捕虜はオーストラリア軍の軍服を染めた衣服を着ていた
色が濃い赤で、初めて見る軍服の色だった

1948年8月5日真夜中に、月明かりの中で
日本軍の突撃ラッパを合図に脱走が実施された
宿舎に火も放ったため、明るくなり、突撃した兵たちは
次々に機関銃で撃たれ死んでいった
およそ1000名のうち4分の一の兵が死んでいる

脱走して何をするという方針があったわけではなく
捕虜という存在をなくすため、立派に死ぬための脱走であった

ほとんど労働もなく、野球、マージャンと
待遇はとてもよかったが、そのことは逆に
自分が日本軍の戦陣訓では認められていない捕虜であることにやましさを感じさせていた
収容所から内地の家族に手紙を出すこともなかった

日本軍に捕虜はいないと教育されていた兵士たちにとって
捕虜であるという事実そのものが精神的に受け入れられなかったのである

戦陣訓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E9%99%A3%E8%A8%93

『恥を知る者は強し。常に郷党(きょうとう)家門の面目を思ひ、愈々(いよいよ)奮励(ふんれい)してその期待に答ふべし、生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿(なか)れ』


捕虜が増えたため、兵と下士官が分けられる兵は移送されるという発表があり
この機会に戦おうという強行派の提案が班長会議でなされた

トイレットペーパーの紙を使った全員投票があり決起が○、反対は×
結果は決起が過半数であり、反対したものも含めて強行された
怪我人など動けないものは『お先に』と自殺・・・

何時間かの準備時間しかなかった
武器は鉄条網をこえる毛布、野球の布製グラブ
バット、食事用のナイフ、フォーク、スプーン

捕虜になったときにほとんどのものが仮名を使っているため
本名がわからないものも多い・・・・

自分だったらどうしたか

友軍が苦戦しなお戦っている状況のもとで
捕虜も戦うべきだ、命が惜しいのか、死ぬべきだと主張したのではないか
○を書き、死ぬ覚悟で突撃したのではないか

そのころの日本人の心根が、私にはわかるように思う

重い内容であった
>>感想を掲示板へ
Re:カウラ事件を描いたテレビドラマ 2008/07/08の日記(07月08日) >>返事を書く
みかん(でこぽん)さん (2008年07月14日 14時49分)

私も録画したものをやっと見たところです。

以前、オーストラリアンのラボ・インターンのスーザンが、自ら作った
故郷カウラの紹介(プロモーション)ビデオ(?)を、ラボママたちに
見せたいというので、近隣のパーティの保護者の方も含めて、我が家に
て、ビデオを見たのは、もう、10年近く前のこと。

その時、初めて、カウラという地名、今は日本庭園があり、親日家が多
いことなど、知りました。

オーストラリアに一年留学していた時、初めて日本人の作った”千人
針”を目にしたり、現地の退役軍人の方に囲まれて、対戦国だった唯一
の国、日本の人として、どう、行動したら良いのか、迷った経験もあり
ます。「昔のことだから・・・。将来は、若い人たちにかかっている」
といってくださる方も、いましたが、厳しい目で、睨まれたりも、しま
した。

世界史や日本史は不得意でしたが、もっと、勉強しておくべきだった
と、反省しました。

スーザンは日本語を教えているようです。

今でも、世界のどこかで、戦いが続いていると思うと、苦しくなる内容
の番組でしたが、事実は事実として、受け止めなければなりません。同
じ思いの方がいることで、少し救われました。
Re:Re:カウラ事件を描いたテレビドラマ (07月08日) >>返事を書く
アスベルさん (2008年07月14日 23時46分)

みかんさんへ

いろいろ考えさせるよいドラマだったと思います
強行派の軍曹が土壇場で逃げ腰になるなどの
余計な演出は不要だと思いましたが・・・

留学されて体験されたことですが
第二次大戦の時、オーストラリア兵の捕虜はかなり高い率で死亡され
帰国できなかったので
日本にたいしていい感情を持てない人が数多くいらしたことと思います

日露戦争の頃までは捕虜を手篤く処遇していたのですが
日本人の大国意識の増長や
日本兵がもともと大切に扱われていなかったことに加えて
東条英機による戦陣訓の強要により
捕虜を認めない風潮が広がってしまったようです

これは沖縄の住民集団自決にもつながっています

日本はその反省を本当にしてきたのかどうか
政治家の言動を見ると疑問です・・・
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