松尾大社
近代の作庭家、重森三玲晩年の作の庭を見る
松尾大社から西芳寺へ歩く
苔の茶屋で昼食
指定された時間に早いので西芳寺の周りを歩く
西芳寺の奥は深い竹林となっていた
西芳寺
奈良時代、行基の開創と伝えられる古刹
暦応2(1339)年に夢窓国師が復興
ここも事前申し込みが必要
拝観料3000円
1時の回は写経を参加者全員がする
80名ほどの参加者が墨で薄く書かれた下書きをなぞる写経に取り組む
写経は永久保存されるとのこと
写経が終わった人から自由に庭を歩くことができる
夢窓疎石の作庭
上段の枯山水と、下段の池泉回遊式庭園の2つから成っていた
境内北方には上段の枯山水庭園の石組みが残る
この石組みには夢窓疎石当時の面影が残っていると言われている
この庭のつくりが金閣寺や銀閣寺の庭園のお手本になっているという名庭である
120種類の苔が濡れて、水滴を含み美しい
西芳寺の近くの地蔵院拝観
地蔵院は孟宗竹や真竹が美しい林をなしている暗い参道を歩いて寺に入るので
竹の寺と呼ばれる
臨済宗の寺で一休禅師が幼少の頃、修養された寺である
貞治6年(1367)、細川頼之が創建し、かつては大寺院であったが、応仁の乱で諸堂を焼失
方丈前の枯山水の庭にはさまざまな形の石が配され、十六羅漢の庭という
頼之は三代将軍義満の管領の命を受け、幕府政治に十二年間にわたり関与する
南朝軍を壊滅させ全国制覇を実現する
頼之は武人でありながら文化人としても知られている
漢詩文を好み、和歌にも秀でていた
(頼之が詠んだ和歌十三首が勅選集に入っている)
宗鏡禅師の門をたたき、地蔵院を建立するに至った
庭を見ている庭の奥の部屋で、お寺の女性の方がちょうど訪問された多分親戚の方とお話をされていた
表の部屋から見ると真っ暗な部屋に見える
その向こうに窓があり、暗い中で裏庭の緑がひときわ美しく見える
暗くても明かりをつけたりせず自然の光で過ごされている・・・・
上桂駅から阪急電車で烏丸へでる
イノダコーヒーでひと休み
入り口は町家のまま、奥は二階建て吹き抜け構造の近代建築
河原町まで歩き 月村を覗くと幸い席があったので夕食
生ビール、茄子、はも鍋、シュウマイ、鳥釜飯等・・・
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