悠久のときの流れの中に存在し得る活動 |
05月27日 (火) |
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ラボの日常活動を後輩テューターに譲り、ラボテューターをやめて、すでに9年もたってしまった。80名余りを引き継いだ後輩パーティは、当時は何かと惑い、大変だったであろうが、私から見れば、何の心配もなく、ラボっ子たちは明るく活動を続けてくれた。毎年国際交流にも次々と参加し、幼児だった子もすでに参加する年になった。どこまで続けられるかなあ、と、やや心配だった高学年の子達も、高校生活動、シニアメイト活動、大学生活動と、ラボ活動を楽しんでいてくれる。引継ぎテューターには、本当に感謝、感謝である。
新年度、新学期と言えば、ラボをやっていればラボっ子募集の時期である。新聞チラシに塾や、同種の募集が入ると、少々心休まらず、ラボパーティへの入会者が気になるのである。そんな募集癖が、すっかりなくなったように思われるこの頃。引継ぎテューターから、いつもより、改まった口調で電話がかかってきた。「先生!先生に改めて、お礼を言わねばと思って・・・・」 「はい、はい、なんでしょう」 「先日、募集チラシをいれたんです。そうしたら、当日来た人が、ラボっ子だったという人、またその友達だったと言う人など、ほとんどラボを知っていると言う人たちで、説明会がとってもやりやすくて、うれしかったです」という。その人たちは勿論、入会したと言う。
以前から、そんなことはよくある事だったが、それは誰だろう、と知りたくなり、聞いてみた。「::さんとか、**さんとか・・・」。 その名前に「ああそうか」と私は懐かしく思った。あの子も結婚したんだ、そして、子どもが、もうラボに入会するほどになったんだ、と、時の流れをつくづくと思った。
ラボは地域に根ざした活動である。外国語教育、国際交流といえども、さらに強調すべきは、総合的な人間教育の上に立って成り立っていると言うことである。私は長年、ラボっ子とともにこの活動に情熱を燃やしたのは、この総合的人間教育、と外国語の習得。 これを、たくさんの物語を媒体に子どもの感性を大切にしながら作り上げていくテーマ活動を通して目指している、と言うラボ活動だからである。この深みと、豊かさ、広がりがなければ、長く続く活動とはなりえない。
地域で続けた活動は、消えてはいない。喫茶店へ行っても、カメラ屋へ行っても、「先生、」「先生」と、今では、ニックネームのようなものだと、思っている。しかし、その根っこのところで、しっかりと、「ラボ」をつかんでいてくれる人がいて、当然のように、わが子のラボへの入会を喜んでくれる。私がラボを続けていて、孫世代が入会してくれる、というより、「引き継いだ若いパーティへ、当然のように入会してくれる」と言うのが、私にとっては、何よりもうれしいことである。ラボテューターのとき、入会してくる子どもの親さんに私は、「明日のテストではない。20年後を見据えた、育て方を。」といってきた。
そのためにも、私には次世代への引継ぎは最大、重要事であった。
「先生のように、私もいい活動にしていかねば・・・とつくづく思いました。」と言う、わが子テューターに、「そうよ。一回、一回のパーティを、おろそかにしないで、一人ひとりを大切に。ラボはどの子にも、必要なもの。どの子をも満足させられる要素を持っているから、たとえその子が、1,2年しか在籍できなかったとしても、その間を満足できるものにしてあげなければ。そういう、一人ひとりへの気持ちが、大きい広がりになっていくのだから。」
われわれ、草創期テューターからすれば、全国的に孫世代のラボパーティになっている。草創期のリーダーの一人がいわれていた言葉に、「悠久のときを思いに入れた教育を目指したい」と言うのがある。単なる英語の勉強ではなく、遠大な夢を持つラボ活動だからこそ、引き継いで、引き継いで、時代にあった活動を広めて生きたいものである。若い、ラボ関係者の皆さん!よろしくお願いいたします。
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Re:悠久のときの流れの中に存在し得る活動(05月27日)
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しげちゃんさん (2008年07月12日 23時36分)
現在ラボをやっている私たちテューターへの、励ましのエールだと感じ
ました。ありがとうございました。時には苦しくもあり、また時には喜
びもひとしおのラボ。ラボってスバラシイとは思っていても、パーティ
それぞれに状況やケースも違い、ふと目の前のラボッ子や親御さん一人
一人にどう向き合ったらいいのかと、20年経ってもまだまだ悩むこと
があります。
こちらを訪問し、孫の世代の入会とか、“悠久”の活動としてのラボと
いうことばが心に残りました。もっと先を見据えて、ビジョンを持っ
て、プラス思考で進んで行かなくちゃ・・・
ラボの基を築いた先人のメッセージを真摯に受けとめ、また頑張ろうと
思います。
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