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映画、そのあと狂言へ」 |
12月20日 (木) |
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下高井戸シネマ『TOKKO 特攻』
日系のアメリカ人女性監督によるドキュメンタリー映画
陸軍と海軍あわせて特攻隊員の死亡者は4000人
沈没したアメリカの船はわずかに40隻・・・
ほとんどは艦に到達せず
待ちかまえている護衛機や艦からの射撃で撃ち落とされた
監督は幼い頃にあったことのある
20年前に亡くなったおじが特攻隊委員であったことを知り
あの優しかったおじが『特攻隊員』だったことに驚く
アメリカ人である彼女にとって『特攻隊員』とは
9.11の自爆テロ犯と同じような狂信者でしかなかった
特攻隊の生存者や送り出した者たちへのインタビューをとおして
特攻隊の隊員たちもまた我々と同じ人間であったことを発見してゆく
その記録がこの映画である
間に挟み込まれた昔の映像も特攻隊員たちの素顔をよく捕らえている
『ミリキタニの猫』と同じく監督自身が登場し話を進めてゆく
戦後60年を過ぎる歳月を経て、生き残った者たちの話ぶりが穏やかである
生き残った特攻隊員の話から
「飛行技術が未熟で編隊が組めないような者まで特攻作戦に使われた」
「機体は老朽化していたのでよく故障した」
「特攻作戦の前に家に帰ったが家族は疎開 父親だけ残っていた
父親に明日特攻作戦に参加するとどうしても言えなかった
父親はなんとか生き残れと言った」
「訓練は厳しく顔を思いっきり殴られた」
「根性を入れると棒で尻をたたくんです」
「訓練の中で死んでも優秀なやつが残ればいいといわれていた」
「戦友たちとなかがよかった 一体感があった」
「生きたかった 死にたくはなかったです」
アメリカ人元兵士の話の中から
『我々は生き残るために戦っていた。それなのに死をいとわず、つっこんで来るんだ』
『とても怖かった』
『どうして助かったかわからない』
『日本やドイツに攻め込まれたらアメリカ人だってやるだろう』
死んだ特攻隊委員の残したことば
初期の特攻隊委員 志願する者がいなくて任命されたベテランパイロット
『俺のように爆弾を落として帰ってこられる優秀なパイロットを特攻作戦で殺してしまうなんて日本も終わりだ』
特攻隊員たちの教官であり、自らも志願して死んだ藤井大尉のこと
妻は夫が特攻隊に参加するにあたり
後顧の憂いがないように『先に行ってお待ちします』と幼い子ども二人と入水された
特攻作戦は作戦としては展望がないことが明らかだ
戦争指導者には責任がある
しかし日本の敗北の色濃い中
国を護る
心情としては理解できる
日本は心情で戦争していた
同時代に生きていたら私自身も特攻隊員になったであろう
映画の中で同期の桜の歌も使われていた
散華
と美化するつもりはないが・・・・
馬鹿なこだと貶めることはできない・・・・
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