幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
■■■ 運営事務局より ■■■
ひろば@LABOは,ラボ教育センターが展開する
「ラボ・パーティ」に関わる皆さんのコミュニティ・ネットワークです。
「ラボ・パーティ」については 公式サイト  をご覧ください。
ラボ公式HPTOP新着一覧英語・語学ランダム新規登録戻る 0252425
  
Home
Diary
Profile
BBS
Bookmarks
Schedule
メール
・メッセージを送る
・友達に教える
ページ一覧
・ 2019☆マザーグースひろば開催情報
・ チームビルド「ラクーンサークル」
・ たがみパーティ見学はこちら!
[一覧] << 前の日記 | 次の日記 >>
「ぶれない」 11月20日 (火)
昨日の事例交流研究会で、いろんなことを考えた。
よそのパーティの事例を聞くことはすごく勉強になる。
昨日のレポートは、自分が直接関わっていないにも関わらず、<あなたもがんばっているんだね。少しずつ成長しているんだね。>と、報告の中の子どもたちに深い愛情を感じてしまった。変な言い方だけど、出会いの仮想体験をして、すごく得した気分になれた感じ・・・かな。
仕事をする上で、それぞれの仕事の中身を見せ合ったり、検証することの大切さを感じている。謙虚に指摘を受けたり、共感して讃え合ったりしたい。事例交流はそういう場だろうと思う。
私は去年初めて事例交流を経験したが、まったくその主旨を理解できなかった。最近になって、ある人から、<事例交流は、読みとる力を育てること>だと聞いたとき、目から鱗。実際、読みとる力のあるテューターに出会って、その視点の鋭さに衝撃を感じたこととつながって、初めて納得できた。自分もそうなりたいと思った。そこから何を得ることができるかは、自分の読みとり方次第なのだ。
私は今回メインレポーターではなかったのだけれど、レポートを受ける側として「読みとる力」を意識した。すごくたくさんのことが見えてきて、報告テューターの言葉を通して、そのパーティの様子をリアルに体験できた。こんなに変わるものかと、少し驚いた。

そんな中で自分をふりかえるわけだけれど、先週のパーティで自分の投げかけは、なんと一方的だったろう。子どもたちに物語(『トム・ソーヤ1話』)をまるごと楽しませてあげるというより、発表のために体よく形を整えることばかりを考えていた。イメージを共有しようとして、いつのまにかストーリーを説明してしまっていた。自分の発したことばや投げかけは、子どもたちとのキャッチボールになっていなかったばかりか、あせりとか都合とかそういった雑念が入り交じり、意図も方向もぶれていた。こどもたちはきっと心の中で少なからず混乱があったはずなのに、そんな様子も見せず、わかったのかわからないのかさえよくわからないまま、口に出さないという私への思いやりでその回を終えたんだな。
うあああ~。。。深く反省。。。。。。。


「ぶれない」ということばが流行っている。どんな使い方をしていいのかいまひとつわかっていないけれど、事例交流を通して客観視した先週の自分は、かなりぶれていた。
もっと自分の感性を研ぎすまし、もっとちゃんと子どもたちを見て、リアルタイムに動いて行く子どもたちの心からなにを引き出したいのかを見据えねば。同伴者、伴走者としてのラボ・テューターでありたいと思えばこそ、子どもたちに向き合うに値する大人であらねば、とあらためて気持ちを引き締める。


私が、パーティのできごとやテューターとしての自分の思いを、このページに綴るのはたぶん初めてだと思う。ずっと抵抗があったからだ。でも今、なぜかこれを綴りたい気持ちにある。誰に、どんなふうに届くのかわからないまま。
<< 前の日記 | 次の日記 >>
Copyright(C)2002 Labo Teaching Information Center.All rights reserved.