特別展「文豪・夏目漱石-そのこころとまなざし-」
両国 江戸東京博物館
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/kikaku/page/2007/0926/200709_2.html
平日なのに見にきている人は多い
漱石の直筆の文字を読むのに時間がかかる
前の人が読んでいる場合待っていると時間がかかるので他を先に見て戻った
とても全部は読めなかったがそれでも休憩を入れて、2時間半ほどかかった
水彩で描いた絵手紙、南画風の掛け軸
漱石の手による美術作品を見ることができてよかった
橋口五葉による『吾輩ハ猫デアル』装幀デッサン稿、
漱石自らが装幀した『心』の原画など
38歳「吾輩は猫である」(明治38)を執筆
39歳「坊っちやん」(明治39)、
「草枕」「二百十日」「野分」(同年)
49歳で逝去 1916年(大正5年)
落語が好きだったこと 寄席通いを楽しんだこと
松山で正岡子規と50日ほど一緒に(1階と2階)暮らしたこと 1985年夏から秋
1896年松山を去る
わかるるや一鳥啼いて雲に入る
ロンドンで生活費を削って買い集めた本が500冊、内400冊展示
鏡子夫人への手紙、子供たちへのはがき
教師の仕事は嫌だ 創作をしたいと転職したこと
帝国大学教授辞任 職業作家へ
俳句
漢詩づくりを続けていたこと
絵を楽しんでいたこと
政府、文部省からの博士号授与の拒否
50歳を前に亡くなられたこと
作家としての活動期間が短かったこと
1885年22歳友人への手紙
・・・・22歳になった・・・・・・・
・・・・・・
この世で生まれる煩いは全て間違い
この地上で人に必要なものは少ない
それを必要とするのも長いことではない・・・・・
|