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配給の日/子ども達の家訪問 |
09月10日 (月) |
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今日は晴れ。午前10時頃、TC小の運動場に400人の村人が集まって来た。皆、手に支援物資の引換券を持っている。順番に並んで、引換券を渡し、受取簿の指紋押印して、米20kg、ダル(豆)2kg、塩1kg、大豆油1本を受け取ると、思わず笑顔に変わった。痩せた体で、重い支援物資をどうやって持って帰るんだろう・・?と思いながら眺めていると、ひょいと頭の上にお米を載せて立ち去って行った。スゴ~イ!!!
夕方、2004年に日本に来た子ども達の家を訪問した。
当時小4だったヒロは中2(日本の中1年代)になっていた。「ここまで水が来た。」と、ヒロは湿って色が変わっているジュートの壁を指差した。2才下のヒロの弟は学校へ行っていない。家具職見習中で、まだ給料は入らないという。妹は6才ぐらい。来年1月から近くの公立小学校へ通う予定だと言う。父親は魚捕り、母親は手巻きタバコの内職で家族を支えている。しかし、月収はわずか1,500TK(約3,000円)で家族はいつも餓えている。
当時小5だったアイリ―ンは中3(日本の中2年代)、背も高くなり綺麗になっている。「日本はキレイ。バングラはキレイない!」とカタコトの日本語で語りかけて来た。日本のようにゴミを散らさないように、と友達に言うけれど、みんな、信じてくれない・・と、彼女は言った。それから、私達のために、歌を歌ってくれた。彼女の家も、ベッドギリギリまで水が入って来たと言う。
それから、アイリ―ンも一緒に、ハニフ(当時小4/現中2(日本の中1年代))の家へ。政府の役人が突然やって来て家を壊されたハニフは、親戚の庭を借りてトタンの家を建てて住んでいた。茶売りの父と2才年上の兄(家具職人)の収入を合わせて、月収は4,000TKだそうで、他の2人よりは少しだけゆとりが感じられた。
「男の子が2人なので、早く結婚させてダウリ(嫁の持参金)を貰いたい。」という母親の発言にギョッとしたフェニックスである。
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