大佛次郎 のドキュメンタリー小説
新潮日本文学25巻で読んだ
1930年 昭和5年「改造」4月号から10月号に連載された
12月天人社刊行
時代背景 ロンドン軍縮会議・恐慌・失業者40万人の年
次の年9月には満州事変が始まっている
1894.10.15 ドイツのスパイであるとの容疑でドレフュス逮捕
アルフレッド・ドレフュス
参謀本部附き砲兵大尉 妻リュシィと結婚5年 二人の子(3歳、6ヶ月)がいた
アルザス生まれ ユダヤ人
1894.12.22 ドレフュス裁判 有罪判決 終身禁錮
1895.2.21 サリュ列島 悪魔島へ
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ピカール中佐 ドイツ大使館シュワルツコッペン中佐の手紙(プチ・ブルウと呼ばれる)
エステラージー少佐宛の手紙を発見
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1898.1.13 エミール・ゾラ
オーロール新聞に「余は弾劾する 」を発表
30万部を撒く 平常は1万部弱の新聞
ゾラは告発され、裁判を受けて立つ
激こうした民衆に取り囲まれた裁判
有罪判決の見込みの中でイギリスへ逃げ身を隠す
ゾラを守る少数の人びとの描写にモネの名とセザンヌの名があった
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1899.6.9 迎えの巡洋艦で島を離れる 囚人のままの扱い
1899.8.7 再審軍法会議はじまる
1899.8.14 軍法会議 ラボリ主任弁護士狙撃される
1899.9.8 再審軍法会議判決 有罪 禁錮10年
1899.9.19 大統領特赦
1899.9.20 出獄
1906 無罪判決 軍籍に戻る
最初の有罪判決の後
真犯人が見つかっても軍法会議の威信、軍部の威信を守るため
ドレフュスは有罪とされ続けた
僥倖のようないくつかの出来事が重なって
やっと再審軍法会議が始まるがそこでも有罪判決
大統領特赦でやっと出獄できた
5年の悪魔島監禁に関わらず無罪を勝ち取る戦いを続けようという意志はしっかりしていたが
髪は白く、老人のようにやつれていたという
そのまま島で生涯を終えた可能性のほうが高かった
ドレフュスを助けようとしたのはごく少数の人びとであって
多数は「フランス万歳!」「軍部万歳!」「ユダヤを許すな」であった
愛国という美名による国家危機感と盲目な民衆感情が結びついたときの恐ろしさ
雪崩を打って良識を押し流す民衆心理の恐ろしさをも描いている
前の日記でふれたジェリー・マネの日記『印象派の人びと』
の記述が参考になった
解説によれば
赤穂浪士や鞍馬天狗でよく知られるようになった大佛次郎が
はじめて自分の書きたい小説を試みたものであるとのこと
その後の日本の歩みを見ると
その先見性に感心せざるを得ない
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