幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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ドイツ旅行帰国後の読書 08月22日 (水)
ドイツ旅行帰国後の読書

図書館から「黄色い星ーナチスドイツの1933~1945」という写真集を借りてきた
1933年ナチスが政権を取り
街頭でのユダヤ人迫害が盛んになった頃のベルリンやミュンヘンの写真がある

ナチによるユダヤ商店の襲撃や街頭での暴行
ナチスが悪書と指定した本を大学の広場で燃やす「焚書」が行われている

古い建物のならぶ町並みや広場は現在とまったく同じ景色
行われている出来事だけが違うという写真を何枚も見て
不思議な気持ちになりました
(今ドイツでナチスを賛美することは有罪になります)

その後に続くのはゲットーや収容所、絶滅収容所の写真
500万人から600万人が殺されたその証拠写真

しかもこれらの写真のほとんど全部が殺した人々が
記録のため、記念のために撮影したものだということに慄然とする

そのカメラを見ている犠牲者たちの眼、眼、眼・・・・
見ている私たちに『こんなことが許されるのか』と問いかけてくる
(2枚だけ収容所内の抵抗組織が秘密取りした写真が入っている)

『ドイツにおけるナチスへの抵抗1933~1945』を同時に借りてある
現代書館1998年 5800円
(ドイツ人によって書かれ、1994年ドイツで刊行された研究書の全訳)
抵抗し、殺された人々の記録 写真 ビラ 尋問記録
残された手紙

白バラの章もある
1942年ミュンヘン大学 6月に最初のビラ4枚が書かれた
1943年2月18日ミュンへン大学で数百部が撒かれた
その場でゾフィ・シェル、ハンス・シェル兄妹逮捕、
4日後死刑判決、同日処刑


ちょっと一休みと
印象派に関する本を読んでいたら
フランスの世論をまっぷたつに分けたドレフュス事件のことがでてきた

『印象派の人びと ジェリー・マネの日記』
ジェリー・マネはベルト・モリゾの娘
早くに母が亡くなり、ルノアールやドガに見守られていた
母を含めた印象派の画家たちに何度も描かれている

日記には印象派の人びととの交流が語られ
それらの人びとの絵や本人の絵ももたくさん掲載された楽しい本であったのだが・・・
後半
19898年、1899年の日記にはドレフュス事件のことがたくさん出てきた
カソリックの家庭であり、
ルノアールや、ドガの影響のためか
ジェリー・マネは反ドレフュスなのである
反ユダヤ人の記述も何度か出てくる


ドレフュス事件
ドレフュスは参謀本部に勤める陸軍士官だった
1896年 スパイ容疑で逮捕
官位剥奪、終身刑となり孤島に送られる
えん罪であったことが後に明らかになったにもかかわらず
フランス軍の威信を守るため再審でも有罪になる
ユダヤ人であったことが有罪になった大きな原因であった

ゾラなど知識人が運動の影響も在って
1906年やっと無罪になりドレフュス名誉回復され軍隊に復帰した・・・

ドレフュス事件出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%95%E3%83%A5%E3%82%B9%E4%BA%8B%E4%BB%B6

フランスは普(プロシャ)仏戦争でプロシャに敗れた後
ロスチャイルドなどに代表されるユダヤ人の金融資本を恨むことが始まり
金儲けばかりのユダヤ人、祖国を持たないユダヤ人と・・・
ユダヤ人への反発意識が広がった

フランスの世論はまっぷたつ
というより反ドレフュスの動きが強い状況

ルノアールやドガが
反ドレフェスの発言、反ユダヤ発言をしていることに驚く

ゾラは印象派を擁護したはずだが
印象派のなかでもいろいろ意見が違っていたようだ
私が画家を含めて知識人は皆ドレフェス無罪支持派と思いこんでいたのは間違いだった

調べてみると
ルノワール、ドガ、ポール・ヴァレリー、カミ-ユ・クローデル、ロダンなどが
反ドレフュス、反ユダヤ (政治的に発言していない人も含まれている)

ゾラ、プルースト、ピサロなどはドレフュスの無罪を信じ、発言した
ゾラは1902年に一酸化炭素中毒で死去 
(暖炉の煙突をふさいで、殺された可能性もある)

当時の反ドレフュス派を支持する人の多くは
無邪気なナショナリスト、熱心な愛国者にすぎないという面もあるのだが

第一次大戦前のフランス人のなかにあった反ユダヤ人意識と
第二次大戦前のドイツにあった反ユダヤ人意識の構造は全く同じであったことに驚く

ジェリー・マネの日記より
1898.1.15ルノワール「ユダヤ人はフランスに金を稼ぎにきていざ戦争となると木の後ろに隠れてしまう」
1899.2.18ルーべはフランス人じゃない だって彼はドレフュス派だからだ
     2.24ドレフュス派、ユダヤ人、パナマ汚職のれん中が好き勝手に権力をもてあそぶのだあわれな国フランス!
     6.22ドレフュスを無罪にするための陰謀にすぎない。やがてドレフュスは喝采のうちに放免されるだろう。
         反愛国的な政府を持つのはうんざり
     8. 2ギュスタブ・モローについて「あれはユダヤ人の芸術さ!」とルノワールさんまさに正鵠を射た定義! 
     9. 9オータンの大ミサに出席
     9.10ドレフュスは有罪になった10年の禁錮重労働
     9.20「リーブル・パロール」紙主催ユダヤ人をパレスチナに送還するキャンペーンに6フラン寄付

暑いので本を読み進めるのも一苦労です
>>感想を掲示板へ
Re:ドイツ旅行帰国後の読書(08月22日) >>返事を書く
ぼっくりさん (2007年08月24日 14時28分)

お久しぶりです。
夏の盛りに木に手を加えることは木にわるいのですね。
8月いっぱい夏休み、のアスベルさんは美術館に舞台にとお出かけにな
って、にっきで拝見できるのはラッキーです。

ドイツ旅行の日記も、美しいお写真入りで素敵です。
ノイシュバンシュタイン、そのまま絵葉書になりそう。
私もドイツは学生の時に、ハンブルグに住む友人家族を訪ねる旅に
行きました。初めてのヨーロッパの町並みにわくわくして普通の
住宅街の写真だけで一体何枚になったことか・・・笑
(当時デジカメがあったらなぁ・・)
今から思うとベルリンの壁が崩れるちょっと前の事でした。
西ベルリンから東ベルリンへ行きました。厳しいパスポートチェック
があり、東の町へ行ったらさっきまでいた西との町並みや人々の
暮らしぶりの違いが印象的でした。
その直後に壁がなくなり、仕事で同じ地を訪れる機会があり、そこに
立った時、なんだか不思議な感覚が心の中にわきました。
ドイツは好きです。ハイデルベルクやブレーメンの町が好きです。
ナチスのこと、大人になってからそしてラボを始めてから、さらに
気になる様になりました。戦争のことは私自身も本当に少ししか知りま
せんが、子供達にも自分なりに伝えて行ったほうが良いと頭のどこかに
いつもあります。
「はだしのゲン」を子供の頃に読んだ夫がまた最近漫画を全部買ってき
て、夏休みにテレビでもやっていたので、わが子たちに見せていまし
た。怖い怖いと言いながら、娘は漫画を読んでいます。
Re:Re:ドイツ旅行帰国後の読書(08月22日) >>返事を書く
アスベルさん (2007年08月24日 22時22分)

ぼっくりさんへ

本当にお久しぶりです

夏は木も大変、ということで造園もお休みなのです

東ドイツに行かれたことがおありだとのこと

『善き人のためのソナタ』に描かれた頃の東ベルリンですね
壁の崩壊は冷戦体制の終結につながった歴史的事件
私は今回東ベルリンからまだ残されている壁の向こうの
西ベルリンを眺めるという経験をしましたが
当時の空気をご存じとはすごい・・・

ハイデルベルクは美しい大学町でした
町の歴史、川と古い橋と半分壊れ廃墟となったた城が
ドイツロマン派の人びとに郷愁をかき立てたといわれますが
石畳の町や橋、哲学の道、城を歩くことで
その気分を十分味わうことができました

ナチスのこと、原爆のこと
これからの子育ての中では一番大事なことでしょうね

地球にとっては人類がどうなろうと知ったことではありませんが
人類にとっては地球の環境が維持されなければ生存して行けません

このままでは地球温暖化の阻止の可能性はありません

共生できるかどうかが大事、
戦争するエネルギーをそちらに回さなければ・・・と思います

おとうさんが『はだしのゲン』を買ってきて
こどもたちと読まれるっていいですね・・・
きっとこどもたちの大切な思い出になることでしょう
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