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原田正純『金と水銀―私の水俣学ノート』を読んだ |
05月07日 (月) |
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原田正純『金と水銀―私の水俣学ノート』
講談社 (2002/02)
月刊誌「労働の科学」(労働科学研究所)に連載されたものに加筆
連載は1999.4~2001.2
原田正純が歩いてきた環境汚染、公害現場の
なまなましいレポートであり、解説であり、エッセイである
環境汚染の現場へと日本各地を訪れる
水俣
北海道イトムカ鉱山 無機水銀中毒
瀬戸内海広島市竹原市毒ガス製造の大久野島
高千穂町土呂久 砒素中毒
九州林野庁による枯れ葉剤撒布と撒布反対闘争
1971年計画の42%を撒布したところまでで中止になる
大阪府大東市マンガン精錬所 マンガン中毒
京都府船井郡日吉町 マンガン鉱山 マンガン中毒
福岡市久留米荒木町農薬工場PCP中毒
カネミ油症 PCB中毒
さらに要請されて世界各地の現場に飛んだ
ブラジル、金採掘と水銀中毒
東アフリカビクトリア湖周辺の金採掘と水銀中毒
ベトナム、枯れ葉剤による被害
インドボハール農薬工場爆発1984年2000人死亡
韓国ウォンジンレーヨン工場CS2中毒 1991年
などなど公害の記録はどれもすさまじい
しかもどれも企業、行政による人災である
劣悪な労働条件の中で被害が起きている
工場内で被害を出している企業が工場外の汚染をすすめる
(窒素の工場で働いていた社員からまず犠牲者が出ていた)
行政と企業は住民が動かなければ、なかったこととし、隠蔽する
責任を取らない
裁判判決も行政、企業寄りである場合が数多く見られる
その邪悪な姿は人間そのものが滅びた方がよいと思わせるほど
許し難い
そのなかにあって被害者たちの痛ましいぎりぎりの姿
人間としての尊厳を持ち続ける姿
原田正純と支援者たちの誠実な姿が、
かろうじて
かすかに
人間の未来への希望をつなぎ止める
抜き書き
「公害の前兆は自然界の異変だと最初私は考えた。しかしその後公害の前兆は伝統的文化や生活様式の破壊であると考えるようになった」
「公害は伝統的な生活様式、文化が外力によって強制的に変えられようとしたときにはじまった」
「現場には無限の事実がある。わからなくなったとき、迷ったとき、現場に行ってみるといい。必ず答えがある。しかし、権威者になると現場からますます遠くなってしまう傾向がある。そして批判を嫌う。(中略)現場に戻るということは実はあまりたやすくない。公式どおり、予想どおり、計画どおりには行かないのが普通で、面倒なことが多い。しかし、その事がその人を鍛える。私は現場から鍛えられ、教えられ、育てられた。そこで現場を離れまい、大切にしようとして、しばしば旅に出た。水俣は私の出発点であり、また終着点であった。――(終章「水俣学の模索」より)」
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