内田樹『下流志向』講談社2007年3月刊行
副タイトル
学ばないこどもたち
働かない若者たち
私のメモ
●学ばないこどもたち
今のこどもたちは
労働主体としてではなく消費主体として自分を自覚する
そこでは等価交換が原則となる
「教育サービス」にたいして教室で彼らが支払うのは私は耐えているという「苦役(不快)」
バザールでの買い物と同じ出来るだけ値切る
注意すると「キレル」
私は10分は我慢して聞いたのだ、あなたの授業はそれ以上を求めるほどの教育サービスなの?と・・・
これだけの「苦役」に対していかなる「教育サービス」をしてくれるのかとはじめから要求している
「起立、礼、着席」緩慢に動く精一杯の努力は記号的な身体技法である
他人が存在するという不快に耐えているという身体がある
○しかし「学び」は等価交換の交換モデルは使えない時間的な現象である
学んでいる時間の中ではそのことの価値がわからないことを学ぶのが「学び」である
こどもは自分の持っている30センチのものさしで世の中のものすべてを計ろうとしている
でも重さ、光量、弾力など計れるわけがないではないか
自分自身の価値判断を「かっこに入れる」ということが実は学びの本質である
●働かない若者たち
自己決定、自己責任論の欺瞞
強者連合はリスクをヘッジしている
自己決定、自己責任論をいい
弱者が孤立すれば弱者はますます弱くなり
その格差は大きくなる
弱者もリスクをヘッジした方がよい
リスク社会を生き延びることが出来るのは「生き延びることを集団目標に掲げる、相互扶助的な集団に属する人びと」だけです
○人の師であることの唯一の条件はその人もまた誰かの弟子であったことがあること
師弟関係の本質は「無限の尊敬」それを学ぶには「無限の尊敬」を実践している人に出会うしかない
フランス現代思想が専門 神戸女学院大学文学部総合文化学科教授
武道家でもあり道場もあるらしい
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E7%94%B0%E6%A8%B9
学ぶことについての考察がとてもよかった
リスクヘッジについても納得できた
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