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アンドレイ・タルコフスキー『鏡』1975年 |
11月29日 (水) |
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アンドレイ・タルコフスキー『鏡』1975年
今日の仕事は1:30で終わったので
バウスシアターへ自転車で行く
この映画館には小さいが自転車置き場があるのがいい
アンドレイ・タルコフスキー『鏡』は監督の自伝的映像詩
"私"が胸に秘めている母、母と別れた父、
別れた妻、別れた息子や娘
過去の記憶と過去の記憶が今、交錯することで
もう一度過去が新しくよみがえってくる
「無意識のなかに確かに存在するが、何かの障害によって意識にうまく再現されない記憶・情景」
「このような「心の深層」のイマージュが、ある魔術的とも言える手順を通じて、
この現在に、鏡に映る像のように再現され意識化される
これがタルコフスキーの映画の基本的な構造でもある」
「ふとした言葉や出来事が、映画の場面を、多様な過去の記憶の情景へと引き込んで行く
現在は過去の記憶に浸透される」
(鏡 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia』 )
村から村へ行く道路のそばに家があった
若かった母が、農場の柵に腰掛けてたばこを吸っている
家の前の野原を眺めている 森があり、野があり、ぽつんと電柱が立っている
こどもたちは眠っている
見知らぬ男 が歩いてくる
医者だという
鞄の鍵が壊れた、ドライバーか釘を貸してくれと頼む 母は断る
夫を呼びますよ 結婚しているのか 何故指輪をしない
たばこを一本ください 母と並んで座る
二人分の重みで柵の横木が折れ、二人とも投げ出される
男は笑っている
風の吹くなか、男が遠ざかって行く
風が野を渡ってくる 男が振り返る もう一度風が野を渡ってくる
過ぎ去って行く医者の姿と共に、
作者の父であるアルセニー・タルコフスキーの詩を朗読する声が流れる
火事の記憶
森の前の納屋が燃えている 暗い森の前の火の色の鮮やかさ
井戸の水を飲む母 男が火に近付いてゆくが消そうとするわけでもない
雨が降ってくる
母が髪を洗う
雨が降っているのか 鏡を、壁を水が流れ落ちている
今の自分は 母とは仲たがいしている
母から電話がかかってくる
『夢を見た 父が家を出たのはいつだった?』『1935年よ』
『納屋が焼けたのは?』『同じ年よ』
『電話したのは 同僚だった~~が亡くなったの』
母は印刷工場の校正係をしていた・・・
朝、校正ミスがあったのではないかと雨の中工場に駆けつける母
雨に濡れている
「もう印刷してしまった 徹夜で印刷したんだ」
心配する同僚たちに一切説明せず、原稿を読み返す母
校正は大丈夫だった
だが同僚が母をなじる
「あなたは自分勝手よ あんないい人が去っていったのは当然よ」
「一度でも自分が悪かったと思ったことがある?」
何か言おうとするが、ことばがでてこない母
シャワー室に鍵をかけ、同僚を拒否する母,同僚は去って行く
シャワーを浴びる母 シャワーの水やお湯が止ってしまう・・・
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