木下順二さんがお亡くなりになりました・・92歳 |
11月30日 (木) |
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ラボで木下順二さんといえば「平智盛」「瓜コ姫コとアマンジャク」
「かにむかし」ですね。
「平智盛」に出会い、「子午線の祀り」を読み、観劇にも行きました。そして群読ということばをはじめて知り、研修も受けたものです。
独特の日本語は、実は英文学者であったと知り、ながく回りくどい日本語の世界にも納得したものです。
「平智盛」はわがPARTYでの財産となった発表も経験しました。
山本安英さんの独特の語り口「瓜コ姫コ」。宇野重吉さんの「かにむかし」。お二人の語り口が非常にゆったりしていてラボテープに入りきらないというエピソードなどを聴いたことを思い出しています。
ちょうど全国のライブラリー委員として心に残る作品ですです。
一方では劇作家として「夕鶴」を山本安英さんの主演で1986年までに全国で1037回上演されたとか。
「子午線の祀り」も有名でしたね。
ラボに深くかかわりのあった方がだんだんお亡くなり、おりしもラボ創立40周年。ラボの歴史と作品の充実さを改めて思う今日一日でした。
ご冥福をお祈りいたします。【合掌】
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Re:木下順二さんがお亡くなりになりました・・92歳(11月30日)
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がのさん (2006年12月01日 00時29分)
【その1】
10月30日に亡くなったという木下順二氏について、ラボのなかでだれ
が書いてくれるのかと、注目しておりました。やはり広くまで目の走る
Hiromi~さんでしたね。
「テューター通信」で死亡記事くらいは出るのでしょうが、今となっ
ては実感ある追悼文を書ける者はおらないのかも知れませんね。
『平知盛』の版権交渉のため、わたしと前社長の鈴木氏とで本郷・向
丘のご自宅にうかがったことがありました。家は浅茅が宿といった雰囲
気で草ぼうぼう、応接間の壁面には馬に関する本がぎっしり並んでい
た…、というようなことをかつて書いたことがありましたね(物語寸景<
1>「平知盛」に転記)。そのとき2時間半ほどいろいろおはなししたは
ずですが、ほとんど記憶になく、ただ、本づくりにあたっては国宝級の
屏風絵でやってみたい、というわたしのプランにおおいに賛同してもら
ったことをよく覚えております。そうは云ってしまったものの、それは
簡単なことではなく、さまざまな方面に必死であたったすえ、下関の赤
間神宮が使わせてくれると決まったときのうれしかったこと!
おなじ10月30日には、中国文学者で漢字研究の第一人者の白川静先生
も亡くなっておられますね。日本古典歌謡の方面にも詳しく、わたし自
身はその分野で勉強させてもらいました。『字訓』『字通』といった貴
重な大辞典をつくった人でもありました。
【つづく】
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Re:木下順二さんがお亡くなりになりました・・92歳(11月30日)
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がのさん (2006年12月01日 00時31分)
【その2】
ラボの人びとに忘れてほしくないのは、渡辺茂男さん。児童文学者・
児童文学翻訳家のこの人が11月18日に亡くなっています。ラボ・ライブ
ラリーでは、『しょうぼうじどうしゃじぷた』と『どろんこハリー』(ジ
オン)があまりにも有名。この人と接触のあった者も、ラボにはもうおり
ません。わたしも直接にはお目にかかっておりませんが、定村さんから
折々、この人がニューヨーク公共図書館児童部につとめていたころのこ
とを聞かせてもらいました。残念ながら、その内容についてはほとんど
記憶がありません。
「とらっくとらっくとらっく」「月夜のじどうしゃ」「ぼくパトカー
にのったんだ」「くるまはいくつ?」「しょうぼうていしゅつどう」
「もくたんじどうしゃもくべえ」「ふたごのでんしゃ」などの幼児向け
乗り物絵本は、幼い子を夢中にさせ、みなさんも子どもさんに何度も語
って聞かせたのではないでしょうか。『寺町三丁目十一番地』もよく読
まれている本。それに『エルマーのぼうけん』シリーズ(ガーネット)、
『おさるのジョージ』シリーズ(M & H.A.レイ)、『くるみわり人形』(ホ
フマン)、『オズの魔法つかい』(バウム) 、『かもさんおとおり』(R.
マックロスキー)など、すぐれた海外の絵本を紹介・翻訳してくれ、子ど
もの世界を世界の名作で飾ってくれています。
こうした失われた才能、惜しんでも惜しみきれぬ多くの才能に、ここ
ろより哀悼のまことをささげたく思います。
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