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チェンマイ希望の家(House of Hope) |
08月07日 (月) |
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バンコク北部のチェンマイは昔、独自の王国があったそうであるが、長い歴史の間にアユタヤに制服されたりビルマに制服されたりして、1932年シャムの一地方になったのだそうである。バンコクから空路約1時間、空港に降り立つと、バンコクの喧騒は消え、静かなたたずまいが現れた。
空港からタクシーで40分程行くと、田んぼの中に赤い屋根と白い壁の小奇麗な建物が見えて来た。山岳民族のエイズ孤児(両親をエイズや麻薬中毒で亡くした子ども達)19名と養母さん一家が暮らしている。この施設は、大森さんという日本人女性によって創設されたのだが、大森さん自身は癌で3年程でこの世を去り、その後、大森さんのお姉さん(上野敏子)夫妻の主催する「希望の家を支える会」(宮崎県延岡市)によって維持運営されている。私達は、宮崎県の国際協力関係のネットワークの中で、大まかな情報は把握しているのだが、実際に訪問させて頂く事によって、我々のフィールドに生かす事のできる事象を発見できるのではないかと思い、今回の訪問を実施することにした。
丁度訪問した時間は昼食タイムだった。寮母のタッサニーさんは留守だったので、しばらく待たせて貰うことにした。大きい子も小さい子も自分の皿に盛られたごはんをキッチンから自分で運んで来てテーブルにつき、それぞれが食べた後は、また自分でキッチンに運んで行った。そうこうしている内にタッサニーさんが帰って来た。予め連絡を取っていてもらったので話はスムーズに始めることができた。
ここで生活している子ども達は、ラフ族・カレン族・モン(ミャオ)族・アカ族・リス族など山岳民族(先住民族)の子ども達である。高地を自由に行ったり来たりして生活していたのに、勝手に国境が引かれ、タイ語を話す民族ではないのでタイ人とは認められず国籍がない。無国籍→教育を受ける機会を奪われる(高校以上には行けない)→良い仕事につけない→貧しい・・と、いつまでも貧困から抜け出せないサイクルが回り続けている。貧しさ故に、ヤンゴン等の観光地へ出稼ぎに行き、エイズに感染し、家族中に広まり、そして死んでいく・・。残された子ども達の面倒を見る人がいない・・。そんな状態を見て、看護師さんだった大森さんはタッサニーさんと一緒にこの施設を建てたのだそうである。
京都からボランティアに来ている荒木さんの案内で施設を見せて頂いた。高床式の寝室棟は2棟、男子棟と女子棟に別れている。ボランティア貯金助成金によるものだそうだ。1階部分は洗濯物干し場。水道の近くで、女の子が一生懸命自分の物を洗っていた。事務所・幼児室・食堂などのメインの建物はODA草の根無償によるもの。こういう風にキチンと子ども達の為に役立っているのは嬉しい。養豚と養鶏、田んぼと畑もあり、できるだけ自給自足を目指しているのだという。
「谷口さんという日本人が指導して下さっているんです。会ってみませんか?」というタッサニーさんの言葉に、近所に住んでいらっしゃる方かと思って二つ返事で約束したら、ナント、4時間も離れたチェンライだと聞いてビックリ(*_*)! けれども何かの縁だと思い、明日訪ねて行くことにした。
夜は、ホテルの近くのナイトバザールに繰り出し、イタリアンレストランで美味しいイタリア料理に舌鼓を打った(^。^)♪~。
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