幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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「100cmの世界からの帰還」に涙 06月30日 (金)
 あのタブロイド版の特別号、はっきりと覚えています・・・。今でもファイルしてとっています。その後、どうなったんだろう・・と、ずーーと気になっていました・・。
 だから、昨日「ラボの世界」を受けとって開いた瞬間、涙が止まりませんでした・・。良かった・・・。おめでとう!辛かったでしょうね・・。すばらしい・・。一度にいろいろな思いや感情が巡りました。
 遠くに住んでいて直接には知らない私ですら、こんな思いを持っています。ましてや、ご両親、パーティのテューターの思いは計り知れません。これからも遠くからお祈りさせて下さい。

 50年前のことです。その頃小児麻痺が流行し、1才の誕生日を前にした弟が感染。最初の診断は風邪。しかし熱が引いた後に身体がぐにゃぐにゃになってしまった時の、母の驚きは想像することはできない。一瞬にしておすわりもハイハイもできなくなってしまった・・。病院とマッサージ院と往復。絶望と涙の日々・・。
 訓練で再びおすわりができるようになると、足踏み自動車を購入し弟の足をペタルに縛り付け、母は心を鬼にしてリハビリに専念した。そのせいあって、踊るような歩きではあったが、何とか歩行ができるようになった。しかし、小学校入学時には「重度」という事で肢体不自由児の施設にも入れてもらえなかった。弟は持ち前の根性で、転びながらの通学に耐え、怪我を克服し、だんだん良くなっていった。仕事をこなし、結婚し4人の子どもの父親にもなった。今では障害に気付く人はほとんどいない。

 神奈さんの朗報に、弟の人生を重ねている自分に気付く。
神奈さん、これから、まだまだ大変な事はあるでしょうが、頑張って下さい。
>>感想を掲示板へ
Re:「100cmの世界からの帰還」に涙(06月30日) ・ ・ >>返事を書く
バーバさん (2006年07月01日 10時20分)

神奈が所属していたパーティのテューターです。
フェニックスさんのHPは時々読ませていただいていました。
幅広い交流、国際理解や国際協力活動も憧れていました。
今日、新着情報のところに何気なく目を留めましたら、日記のタイトルに
神奈の記事のタイトルそのままが記載されてあったので、あ!っと思い
訪問させていただきました。

弟さんの事、お母さまのお気持ち、今のご様子…
もう、号泣してしまいました。
重なって思いを馳せてしまいます。
試練ということばで片付けるにはあまりにも重い試練です。

でも、神奈は言っていました。
こうならなければ解らなかった事がある、
こうなったからこそ、受けられた周りの人たちの優しさ、温かさが
ある、と。
これは、歩く事がかなわなかった頃にすでに言っていました。
きっとその受け止め方が、神奈を歩く方向に向かわせてくれたのではないかと
今になって思います。
決して諦めなかったフェニックスさんのお母さまと弟さんのように
神奈の決して夢を諦めない強さは、周りの皆さんの愛によって
より強く支えられたものだったのだと思います。

ありがとうございました!
Re:「100cmの世界からの帰還」に涙(06月30日) ・ ・ >>返事を書く
くまちゃんさん (2006年07月01日 11時54分)

バーバさん
&フェニックスさんへ

またまた、泣けてきました。。。。。

尊い一人ひとりの生き方に、人としての大切なメッセージを感じます。

私も、2年前に治癒率3%の厚生労働省認定の難病を克服しました。
5年かかりました。
内部障害でしたので、自分がどんなに痛くて苦しくっても「出会う人に
は、この辛さを共有させるような負担はかけたくない」と、必死につく
り笑顔で頑張っていました。

父親が下肢の障害を乗り越えて、事業も家庭教育もしっかりしてくれて
た環境で感謝の気持ちを持って育ちながらも、いざ自分の身に障害が降
りかかった困難と差別と偏見に立ち向かっていくことは…、辛い苦しい
経験でした。
たくさん迷惑をかける自分が大嫌いになって自死を何度も考えました。

でも、理解してくださる人・支えてくださる人・「そのまんまでいいから
生きててくれたらいい」と抱きしめてくれる人・グローバルワークショ
ップでエンパワメントできると導いてくださった人・そして希望を分けて
くれるラボっ子の笑顔…。

差別や偏見以上の「思いやり」が、難病克服のエネルギーを湧き起こし
てくれました。

いま、3%の奇跡を起こせた自分ができること…は?
この『喜び』を、自分のものだけにせずに、人と分かち合うことで、も
っともっと喜びが大きくなる…そう信じて、生き抜いていこうと願って
います。

神奈さんの『こうならなければ解らなかった事がある』という言葉に、
心から共感します。
心から、心から応援しています!

『ひとつしかない地球』を、お互いの思いやりいっぱいの喜びで満たせ
るような…出会いと活動を続けて生きたい。

日々、反省。日々、精進。の私です。

♪一人じゃ とても かなわぬ夢も
 力合わせれば できるはず♪
Re:Re:「100cmの世界からの帰還」に涙(06月30日) ・ >>返事を書く
フェニックスさん (2006年07月02日 12時09分)

バーバさん
はじめまして。宮崎のフェニックスです。遠く離れていますけど、バーバさん
と気持ちを合わせて見守っています。

もう12年も前の夏の事です。
長女が原付運転中、一旦停止を無視して路地から出て来た車にはねられまし
た。長女ははね飛ばされ対向車線に落ちました。もし、車が来ていたら、そこ
で命は終っていたことでしょう。不幸中の幸いでした。大腿部複雑骨折で7ヶ
月入院しました。当時、長女は静岡在住でした。丁度、お盆の後のユータンラ
ッシュが始まっていました。取る物も取らずに空港へ駆けつけました。けれど
も飛行機は満席で、心配と逸る気持ちで半分パニックに陥っていたのを思い出
します。事情を話し、特別枠の席を確保し静岡へ向いました。娘の顔面は赤痣
と青痣で腫れあがり、足は砂袋で引っ張られて固定されていました。つくり笑
顔で娘に接しました。リハビリの痛みに顔を歪め、大声泣いていました。他人
の些細な言葉にも傷ついた時期もありました。何度かの手術を重ね、幸い長女
は普通に生活ができるようになりました。今では、他人の痛みのわかる優しく
明るい2児の母親です。

神奈さんのことも、とても他人事とは思えませんでした。
神奈さんの前向きに生きている姿に感動致します。
私も、神奈さんを応援する One of them メンバーとして、遠くから見守らせ
て頂きたいと思います。宜しくお願いしますm(__)m
初めまして☆ >>返事を書く
山木神奈さん (2006年07月03日 03時44分)

岸本テューターから連絡を頂いて、お邪魔させていただきました。
カンこと山木神奈です。
今はまたアメリカに戻ってきて、夏の授業で毎日忙しい日々を送ってい
ます。

今、私のアパートには車椅子が三つ・・・・ちょこんと置いてありま
す。この5年間、車椅子が私の足であり、無くてはならない存在だった
のに、こうして歩けるようになり毎日杖を使っての生活ですので車椅子
の出番はもうないと言っていいほど。半年前には想像も出来なかったこ
とです、車椅子をもう使わないなんて。この5年間、夢の中にいたよう
な感じさえします。けれども、私はいつまでも私のまま。数え切れない
多くの方々からのご支援をいただきました。そしていつも温かく私を見
守ってくださいました。これはいつも私の心の支えであり、そのお陰で
今笑っていられる私がいるのです。このご恩は一生忘れません。

まだまだこれからですけれど、焦らずゆっくり完全復活に向けて頑張り
たいと思います。今度日本に帰るときはフォークソングを思いっきり踊
れてるようになってるかもしれませんね笑 

本当に本当にありがとうございました!!
Re:初めまして☆ ・ >>返事を書く
フェニックスさん (2006年07月03日 08時02分)

山木神奈さん、
アメリカから「飛んで」きて下さったんですね、感激です!
日記にも書きましたように、ずーーと気がかりでしたので、本当に嬉しく思い
ました。一度もお会いした事はないのですが、なんだか我が子の事のように感
じて応援していました。本当におめでとうございます。良かったです・・。
これからも応援しています!

>まだまだこれからですけれど、焦らずゆっくり完全復活に向けて頑張り
たいと思います。今度日本に帰るときはフォークソングを思いっきり踊
れてるようになってるかもしれませんね笑 
⇒わぁ~・・・、フェニックスも、いつかカンちゃん(←こう呼んでも良いで
すか?)とフォークソングを一緒に踊れる日を夢見て(歳がいもなく・・
(笑))磨きをかけておきます(笑)。
お返事、有難うございました。
お母様、本当に良かったですね!
これからも、度々岸本PのHP「カンちゃんのページ」を覗きに行きます。

諦めなければ「想い」は絶対に叶う!私は途上国で貧困からの脱却を諦めかけ
ている子ども達に、カンちゃんのことを伝えて勇気付けてあげようと思いま
す。

私は地元宮崎で地域活動をしているのですが、そこで素晴らしい青年に会いま
した。彼はサーフィンをやる元気な青年でした。ある日砂浜で、砂山を飛び越
した瞬間、着地の砂の状態が悪く転倒し脊柱損傷になりました。一瞬の前と後
で全く違う人生を歩むことになりました。彼は一人で食事を取ることすらでき
ません。トイレにも介助が必要です。けれども、24時間ボ多くのボランティ
アさんの手を借りて、「一人で」(施設入居ではないという意味です。)生活
しています。彼は笑顔で言います。「ゆっくり歩いても良いんだ・・と考えら
れるようになりました。」「ボクは健常者と障害者の双方の気持ちがわかりま
す。」 今、彼は障害者に優しい街づくりNPOの代表として活躍しています。

LOVE from MIYAZAKI! ありがとう!(*^▽^*)ノ”
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