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再びシアトルへ |
03月07日 (火) |
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前回の日記が11月の末で、今回が3月初め。3ヶ月空きました。僕の性格なのでしょうが時折、メールもインターネットも、見るのも嫌だわ!、状態になるのです。ただ今回はそれだけでなくこの間本当に慌しかったのです。
まず昨年12月21日に一時帰国しました。アメリカで長期にわたって就労するビザを取得するために、1月には日本にいなければいけないという事情があったからです。今回取得したのはL1Aと言うカテゴリーのビザで、専門的知識や技術をアメリカのスタッフに伝え教える、という条件で発給されるものです。そのためにはその部門に最低1年は所属しておく必要がありました。ただし私は昨年の1月に17年いた組織から財団へ来たので、秋にシアトル事務所に配属の辞令が出たもののその時点ではアメリカに長期滞在できる資格ありませんでした。ですから昨秋は長期出張でシアトルに滞在し、今回初めて正式なビザが出てあらためてシアトル赴任となったのです。
それでそのビザですが、取得のためにはまずアメリカの法律事務所に依頼して申請書並びに付属資料を用意してもらいます。その分厚いpetition(ビザ申請書と付帯資料)ができたら今度はそれをネブラスカ州にある移民局へ送り証明を出してもらいます。(approved notice(申請受理報告書)そして今度はその証明を日本のアメリカ大使館に提出し面接を受けます。それで初めてビザが発給されます。私の場合もここまで大変な時間と手間と費用がかかり、やっとビザの発給を受けることが出来ました。でもビザ自体はパスポ-トの1ページにぺたんと張った紙です。そして恐ろしいことはビザが発給されてもアメリカ入国が保障される言うのではなく、それは到着時の入国管理官によって決定されるという最後のハードルがあることです。まあ私の場合、そんな高い塀も志の翼でひとっとび、シアトルへは赤々と燃える志の松明をかざしてやってきましたけどね!?しかし私の場合、ビザ発給のスケジュールと日本の家を引き払う作業が同時並行だったのは大変でした。ビザ発給に向けてのスケジュールはいつネブラスカで申請が受理されるか、それがいつ届くか、日本に送っていつ面接になるか、果たして面接で落ちないか!またいつビザが出るか、など確定しないスケジュールを予測しながら準備を進めていかなくてはいけませんでした。またラボとしても家族が、と言ってもかみさんだけですが、日本の家を引き払ってシアトルに赴任する始めてのケースですのでこちらも手探りでした。結局予想でシアトル行きの飛行機の予約をしていた前日に3年間有効のビザを受け取り出発と言う、まさに八艘跳びのようにシアトルにやってきたのが2月3日のことです。
分厚い、L1A Petition と Approved Notice
アメリカ大使館の面接の確認書、L1ビザ、面接後にもらったビザ発給認定書!?(あなたのビザ申請は面接が終了し許可されました、と書いてある)面接は、まず大使館に入るまでに30分ぐらい寒風の中並んでX線検査を受けます。そして建物の中に入ります。窓口は駅の精算所の様な感じでいくつかあり、しばらく待つと名前が呼ばれて名前の確認と指紋を撮られます。そしてしばらく待ち再度名前が呼ばれます。立ったままプラスチックのボード越しに若いアメリカ人の女性に、いつから会社に勤めていますか、と尋ねられたので、昨年の1月からと答えました。そしてもらった紙が下の許可証?です。面接と言うので部屋に呼ばれてあれこれ聞かれるのかとおもっていましたから、思わず、終わり?たったこれだけ?とつぶやいたら、ハイこれで終わりです、と日本語で明るく返されました。実にあっけない・・・これまでの苦労は?というよりさんざん準備したからこれで済んだのだと思うようにしました。でもビザはいつ出るか教えてもらえず、毎朝大使館へ行って確認しなくてはいけません。私の場合はJTBさんに代行を頼んだのでその必要はありませんでしたが、アメリカで働くビザを取るのは実に大変なことです。
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