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東京都写真美術館「岡本太郎の視線展」へ行く |
01月22日 (日) |
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目黒に用があったので、恵比寿の東京都写真美術館まで歩いて
開催中の「岡本太郎の視線展」を見て帰った
「写真に残された 岡本太郎が見たもの がここにある」(岡本敏子)
「彼は夢中になってそれに肉迫する
といってもシャイな人なので不躾に寄ってゆくことができない
遠くから抱きしめるように撮る」
「後ろ姿ばかりということもあった」
「とうとう上から覗いて撮ることができるようなファインダーを造ってもらって
それでそっと撮ったりしていた」(岡本敏子)
岡本太郎は1911生まれ1996年没
「太陽の塔」をはじめとする作品が残されている
(ラボ・パーティ10周年の年か次の年、関西支部は太陽の塔のある大きな、大きな広場を借りて
大ソングバード大会を実施した 広場を埋めたラボっ子と家族と、友だちと、壮観でしたよ)
「座ることを拒否する椅子」という椅子も好きだ
1929年パリに留学
1938,39年マルセル・モースに民俗学の指導を受けた
会場内でメモした岡本太郎のことば
彼の生き方や芸術館がことばに表れている
「これはいいんじゃないか
余計なものがみんな捨ててある」 写真評の中のことば
「対象に迫る、関わる」
「写真というのは、偶然を偶然で捉えて必然化することだ」1954
「人間としての誇り、自覚つまり生き甲斐を持って逞しく人間が息をし生活する場所には
どこにでも第一級の芸術があり得る」 1957 芸術風土記「日本の風土」
「驚きを感じさせるものがいい 胸にどきんと」
「驚きのないものは芸術と思わない」
「芸術家である前に人間である
瞬間瞬間に責任をもってそういう状況に答えを出さなければならない 作品としてね」 1964
「すべての存在、自由な存在として生きるのです」
「私が生きたい人生は、すべてをやるのです」
「つくるということはなにかもうすでにあったことはやらないということです」
「私は自由に話します 私は自由につくりもします」
岡本太郎 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9C%AC%E5%A4%AA%E9%83%8E#.E4.BD.9C.E5.93.81
写真展・岡本太郎の視線
http://www.syabi.com/schedule/details/okamoto.html
川崎の岡本太郎美術館
http://www.taromuseum.jp/index.htm
南青山の岡本太郎記念館
http://apm.musabi.ac.jp/imsc/cp/menu/museum/okamoto_taro/intro.html
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