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On the Christmas Day・・・ |
12月25日 (日) |
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午前8時半、ポルポトの虐殺現場ツールスレインに行った。ここは高校の跡で、所謂「インテリの象徴」ということで迫害・拘留の現場となったのだそうである。鉄ベッド、鎖、足繋ぎ棒、独房群・・・抹殺された人々の写真、衣服、リンチに使われた様々ま道具、狂気ポルポトが死人の骸骨で作らせたというカンボジア骸骨地図の写真と、それらの骸骨と弔う鐘・・・などなど・・・。これらは60年前のことではない。わずか十数年前までのできごとなのである。今回の参加者の最低年齢は13才、この子達が生まれた1993年に国連アンタックがカンボジアに入り、そこから復興が始まった。高校生・大学生参加者が生まれた時も、まだこの地は戦禍にあったのである。昨日行った孤児院の子ども達の中に現実戦災孤児もいるのである。メガネをかけているだけでインテリと判断され殺された人々、美人は育ちが良いに違いないと強姦され殺されたという。参加者は気分が悪くなり、座りこんでしまった。でも、これはまぎれもない最近の事実。しっかり目を開けて見て、戦争がいかに愚かなことなのかを学んで欲しい。そして、帰国したらそれぞれの口で伝えて欲しい。
午後は再び昨日の孤児院を訪れた。子ども達が住んでいたゴミ捨て場を見て、ポルポト政権下の様子を学んで再び子ども達と会った参加者はきっと昨日よりも、もっともっと子ども達がいとおしく感じたことだろう。
みんなで輪になってジングルベルを踊った。Yがハーモニカで「ひとつしかない地球」を吹き始めた。私達は自然と手話を交えて唱和していた。それを皮切りに孤児院の子ども達も歌を歌い始めた。それから、みんなでゲームをしたり綱引きをしたりして遊んだ。参加者は「はらぺこあおむし」を演じた。大喝采!!!子ども達はお礼に「オオカミと七匹の子ヤギ」を演じた。子ども達が参加者の膝に乗ってきて、みんなでお絵描きをして遊んだ。朝のショックを子ども達の笑顔で癒されたみんなは、4時間の滞在の跡、後ろ髪を引かれる思いで、孤児院のみんなに手を振って車に乗り込んだ。
夜、日本に留学した経験のある人達の同窓会に招待され、帰国後頑張っている青年達と交流をした。
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