津島佑子さんの父は太宰治
佑子さんが1歳の時に三鷹駅近くの玉川上水で亡くなっている
講演の題名「小説の悲しみ」に惹かれて聞きに行った
現在の状況のなかで、言葉をどのように考えるか
津島佑子のとらえかたをお聞きすることが出来た
印象に残った言葉
「今までだったら、小説の喜びとか、小説の楽しみという題で語った」
「規範の崩壊、グローバリゼーションの動きのなかで
言葉は・・・・
ジャーナリズム、報道の怖さ
人間と直に会って話をすることが大事」
「12歳にのときまで知的障害のあるダウン症の兄といつも一緒にいました
世話をする意味もあって、ずっと側にいました
兄は15歳で亡くなりました
兄の生とはなんだったのかとずっと考えました」
「言葉にならない彼との関わり」
「兄のような生が小説として書かれたことはなかった」
「私たちは言葉に縛られて生きている」
「言葉だけが一人歩きして、妄想がふくれてゆく」
「肥大化した言葉」
「言葉だけに頼るとおかしくなってゆく」
「リアルな現実そのものに絶えずふれてゆく必要がある
ここに飾ってある花は、温室で作られたものだと思いますが
道ばたの雑草に耳を傾けてゆくことが大事」
「言葉は制度といってもいい」
「言葉は秩序といってもいい」
「人間の存在の愛しさは、言葉だけではないでしょう」
「言葉はものを固定する
だから私たちは言葉が好きなのだろう
しかし地球は回っている 絶対にその場に留まっていない」
「言葉も文化も固定化しない方がいい」
「日本語を愛しているが作品としては開かれたものでありたい」
「存在感のある作品、手ざわりのしっかりした作品を求めたい」
「言葉の現状に、小説は悲しんでいるのではないか」
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