光キディ ぐるんぱ 09/27の日記 |
09月27日 (火) |
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キディは光も田布施もここのところ「ぐるんぱのようちえん」に取り組んでいます。
今日の光では、ひとりがひとつずつダンボールを持ってきて、つくったこれは何でしょう??「いたずらきかんしゃ」でも、はらぺこあおむしでもありません。
The shoe is now a house to play in.靴はみんなで遊ぶ家になりました。 そう、みんなで遊ぶ「家」 「靴」なんです。
3歳から小1まで12名。
まだまだ、誰かと協力した何かをするよりは自分のしたいようにしたいお年頃。最初は自分の思うようにやっていた子も、他の子が合体させてひとつのものにしていくのを見て、「自分も」と。
ガムテープを張ることが面白くって、貼ることで作った気分
Ah! Finished!「やー、できたぞ」
できたらみんなで遊んで、Oh,the children are very happy! ほんとにみんな楽しそう。
Tちゃんは、チラシの裏に山のように書いたぐるんぱの絵を持って来て、こっそり見せてくれました。おうちでここのところずっと一生懸命かいていたそうです。
自分の意思があって、まだまだ誰とでもさあ手をつなごうとはならなかったのですが、ここのところ、みんなで仲良く手をつないで、気持ちよくgood bye ができるようになってきました。
今月のナーサリィ ウィンキーさんもお気に入り。
この2枚はこの夏コネチカットにホームスティしたyちゃんの写真。
06年 来年の国際交流参加者の意思確認のはがきを出すころになりました。昨年の今頃yちゃんは、どうしようかと迷いつつ、出るが出るまで、いろいろありましたが、とってもいい交流をしてきました。
05年国際交流のページをまたまとめます。
この土曜日は、今年国際交流送り出し、受け入れ母のお話を聞く父母会です。
送り出し3名、受け入れ2名、留学の話も。こんなに豊富な体験を聞ける年もすくにのでは?
お聞きのがしなく。
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がのさん (2005年10月01日 13時24分)
【その1】
主題を外してすみません。
こちらのページ目にする光、平生(ひらお)、田布施、柳井、上ノ関、徳
山といった地名……。わたし自身は徳山のほかはぜんぜん馴染みのない
ところなのですが、なぜなのか、知らない土地のような気がしないの
は、このところ、いぬい・とみこさんの児童文学作品『川とノリオ』や
『光の消えた日』を読んだからでしょうか。
短篇童話『川とノリオ』についてはわたしのホームページのほうでご紹
介いたしましたが、ここではノリオは2歳の子でした。3歳からのノリ
オ、川遊びが大好きなこの子が再び登場する長編童話が『光の消えた
日』(ノリオは、のちに剣道の達人になって注目されますが、やがて非行
少年になって高校生同士のケンカで17歳のとき死にます)。
この作品は、いぬいさんの20歳代前半、柳井市の保育園で保母さんとし
て働いていたときの経験を軸にして書かれた物語。かなりの部分が実話
だと思います。広島から約60㌔離れたこの町で、8月6日の朝、夾竹桃
の上の空をパッと射した閃光。広島への原爆投下の前後の、幼児たちの
さまざまな姿、戦時の臨時保育に狩り出された14~15歳の少女たちの姿
が描かれます。敗戦につづく枕崎台風のために保育園は廃園となり、主
人公の今泉朋子(いぬいさん)は東京に帰って出版社に勤め、つぎに作家
活動に入りますが、26年後、29年後、鎮魂の旅で同地をおとずれ、いま
は成人した昔の園児たちに再会し、あの時代を語り合います。
いたいけな園児たちの飾りのない、生き生きとした姿、そして彼らを包
む戦時下のきびしい状況とが微妙に綾なす、印象深い力作です。
【つづく】
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がのさん (2005年10月01日 13時27分)
【その2】
「光」には海軍工廠が置かれ、徳山あたりまでが一大軍需基地だったよ
うですね。特攻兵器の人間魚雷「回天」の基地でしたから、もう、米空
軍の重点攻撃目標にされ、終戦の前日の8月14日、B29による空襲を受け
ます。これによって738人もの徴用工や女子挺身隊員らの勤労学生が死ん
でいったとか。
柳井川のほとりの「樋の上」というところにあった柳井高女付属の「ほ
まれ保育園」が主な舞台になっていますが、それにしても、広島や似島
はもちろん、由宇、神代、大畠(大畠の瀬戸渦潮)、柳井港、室津半島、
尾国、平生、あるいは伊保庄、主人公が買出しに行く「かくれ里」の伊
陸(いかち)、…といった地名は、きっとスミティさんたちには耳馴れた
親しい響きをもつものかも知れませんね。柳井川のほか、姫田川、島田
川といった川の名、宝来橋、馬皿(ばさら)、琴石山といった名はどうで
しょうか。
さまざまな人びとのさまざまな死に方も描かれますが、サツマイモのつ
るや葉っぱを海水で味つけして食たべる代用食、食糧増産を目ざして馬
糞を拾いあつめて歩きカボチャ畑にそれを撒く高女の少女たち、海軍の
軍事基地を人びとの眼から隠すため、かたく閉ざされた汽車の片側の
窓…。きびしい姿もたくさん書かれていますが、一方、子どもたちの生
き生きとした息吹きにも包まれたすばらしい作品です。柳井の名産の
「金魚ちょうちん」も書かれています。まだお読みでないようでした
ら、ぜひ…。
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スミティさん (2005年10月05日 12時27分)
がのさんへ
お返事がたいへん遅くなって失礼しています。
がのさん、良くご存知ですねえ。光市は一面焼け野原になったそうで
す。今、室積~光井の国道188号線、まっすぐなのは、当時滑走路だ
ったからだそうです。
高女の学生が学徒動員で大お亡くなりなって、毎年夏に慰霊祭が行われ
ています。
私も最近知ったのですが、人間魚雷回天、あったのは山口県 徳山沖大
津島と光の光井、そして平生町と大分に一箇所。実際に出撃したのは山
口県の3箇所のみだそうです。
我が家の2階から、出撃基地であった神賀山古墳横が見えます。
いぬいとみこさん、柳井で幼稚園に勤めていらっしゃたということを、
誰かに聞いた気がします。
樋の上、似島 由宇、神代、柳井港、室津半島、尾国、平生、ある伊保
庄、伊陸 柳井川 姫田川 宝来橋、馬皿 琴石山
このあたりに住んでいないと読めそうに無い漢字も。私にも、パーティ
のおかあさんがたにも、ラボっ子にも馴染み深い地名ばかりです。
「川とノリオ」「光の消えた日」読んでみますね。
夏前に、平生回天記念館に、自分のおじいちゃんが、出撃を前にここで
終戦を向かえたと言うラボっ子を連れて行きました。もし、おじいちゃ
んがいなかったら、今の自分はいなかったよね。
実際の写真や遺品を目の当たりにすると、胸に迫るものがあります。
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