昨日午前中は武蔵野大学へ出かけた
土岐善麿記念公開講座『土岐善麿の短歌』
福島泰樹(歌人)さんの講演
石川啄木と土岐善麿の交流を短歌を取り上げながらたどられた
1885年 明治18年 土岐善麿生まれる
1886年 明治19年 石川啄木生まれる
1910年 明治43年4月土岐善麿『NAKIWARAI』
ローマ字、3行の分かち書きの歌集であった
1910年 明治43年8月石川啄木東京朝日新聞に『NAKIWARAI』について書く
1910年 明治43年12月石川啄木『一握の砂』
一首3行書き
1911年 明治44年1月12日 土岐哀果(善麿)から石川啄木に電話がかかってきて
ふたりは会うことになる
1月13日ふたりで雑誌を創刊することを約束「樹木と果実」
(印刷所の不誠実、倒産により発刊できず断念)
○ 1月18日 大逆事件幸徳秋水等の特別裁判判決 被告26名中24名死刑
○ 1月19日 大命により24名の死刑囚のうち12名が無期懲役に減刑。
○ 1月24日 幸徳秋水等11名の死刑執行(管野すがのみ25日朝執行。)
1912年2月18日 土岐哀果歌集『黄昏に』刊行
「この小著をとって、友、石川啄木の卓上におく」と記された
3月9日 浅草等光寺にて母カツの葬儀
等光寺は、土岐哀果の生家 葬儀はその厚意によるものであった
4月9日 土岐哀果の尽力で、東雲堂書店と第二歌集の出版契約
原稿料20円を受け取る
(啄木の死後、歌集『悲しき玩具』として実現)
4月13日 石川啄木死去
4月15日 佐藤北江、金田一京助、若山牧水、土岐哀果らの奔走で葬儀の準備
哀果の生家 等光寺で葬儀
導師は哀果の兄 土岐月章
土岐善麿は1980年95歳で亡くなられている
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