ガートルード・スタイン 1874~1946 はアメリカ人で、パリに住んでいた
当時、セザンヌの絵を買う人はいなかったのに
セザンヌをいち早く認め、1906年その作品をヴァラール画廊で買った人であった
1907~1914年キュビズム運動
スタインはマチスやピカソをいちはやく認めた人でもあった
「ピカソその他」ガートルード・スタイン
本間満男・金関寿夫/訳 書肆山田
ピカソ論2本と、セザンヌ論、マチス論、ブラック論
1922年ヘミングウェイがガートルード・スタインを訪ねたときにも
彼女のサロンにはこうした画家たちの絵が飾られていた
ヘミングウェイはガートルード・スタインの影響を受けている
新聞社の特派員を辞めて、作家になることを勧めた
ヘミングウェイからスタインへの手紙
「あなたにお会いするまで小説を書くことは、私にとって簡単なことだった
あなたにお会いしてから、小説を書くことは難しいことになりました」
「今、セザンヌがやったように小説を書いています」
In Our Timeの "Big Two-Hearted River''において
"country''をセザンヌのように書こうとした
先週読んだヘミングウェイの『スミルナ桟橋にて』は
7つほどのエピソードが書かれているのだが、エピソードそれぞれの関連が良くつかめなかった
しかし今回の講義で近代絵画の画家たちとの交流について聞き
近代絵画を考えて見るととその意図がわかってきた
セザンヌがマチスがピカソがやったように
写実ではなく、一度解体して再構成しているのだ
起承転結を持った叙述ではなく
おなじ画面にいろいろなシーンが、同時に、書き込まれているような書き方なのだ
そのことによって単に描写するのではなく
読者がそこにいて行動しているかのような効果をつくりだしている
特派員レポートではない、作品をつくりだそうとしている
『スミルナ桟橋にて』という作品ががよくわかった
目から鱗が落ちた感じ・・・で気持ちがいい
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