第一次世界大戦とヘミングウェイ
trench 塹壕
trenchmortar 迫撃砲
1917年(大正6年)18歳 高校を出て、8ヶ月ほど働き、
パリからイタリアへ
前線に出てわずか1週間で重傷を負ったヘミングウェイ
(1917年4月にアメリカ合州国が第一次世界大戦に参戦)
1917年5月卒業式直前、父親の強い反対を押しきって
ヨ-ロッパ派遣の兵役に志願するが
身体検査でボクシングによる左目の障害が判明し不合格
オ-ク・パ-クの実家からの脱出意欲高まり、
秋にはミズリ-州カンサス・シティ-に本社のある
「カンサス・シティ-・スタ-」新聞記者の職を得て転居
独り暮らしを始める。約半年の体験だった
1918年4月に「カンサス・シティ-・スタ-」社を辞職
イタリア軍付赤十字要員募集に応募。これに合格
5月末にはニュ-ヨ-クを出発
6月にはミラノに到着、従軍を果たす。
7月8日夜、北イタリア前線フォッサルタ村
戦闘での負傷者輸送中に敵の迫撃砲攻撃か機銃掃射で被弾、
脚部に227もの破片を受ける負傷
翌日朝からミラノ陸軍病院に3か月入院
ここで看護婦アグネス・フォン・クロ-スキ-と恋愛関係に・・・
この体験が後の小説『武器よさらば』を生む
退院後は中尉待遇となり10月には再びイタリア軍と戦線に出る
11月には休戦となり、帰国を考える。
参戦時の功績により1921年にイタリア政府から勲章)
作家 シャ-ウッド・アンダ-ソン
作家 ガートルド・スタイン
詩人・批評家 エズラ・パウンド
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