バリ島芸術をつくった男
ーヴァルター・シュピースの魔術的人生 伊藤俊治 平凡社新書 2002年 780円
ヴァルター・シュピースはロシア生まれのドイツ人
第一次大戦後
当時オランダの植民地であった東インドの文化にあこがれ、
ジャワに向かい、バリと出会い、
バリ島に住み、バリ島の芸術に生涯を捧げた人だ
現在のバリ舞踊の成立に、世界への紹介に、大きな関わりがあった
バリ島とヨーロッパ文明の奇跡のように
幸福な出会いの記録でもある
ヴァルター・シュピースの生涯
1895年モスクワ生まれ 父母はドイツ人
1902年ピアノ、絵画を習う
1910年ドレスデンのギムナジウムに入学
ドイツ文化と接触し影響を受ける
ダンスに熱中
1914年第一次世界大戦がはじまる ドイツ人である父抑留される
モスクワに帰省 抑留され、ウラルに送られる
1815年タタ-ル、バシュキュールなどの民族文化を知る
古老から民話を聴き、民謡を覚え、プリニティブな生活に感動する
絵を描き始める
1917年モスクワに帰還 オペラ芸術を手がける
1918年父レオン死去 家族とドレスデンへ
芸術家のコロニーに住み、ダンス教師として生計を立てる
舞台芸術、絵画
1923年アムステルダムで個展
王立植民地博物館に通いジャワやバリの文化に触れる
オランダ領インド行きを決意
ハンブルク出港、ジャワ下船、
バンドンでピアニスト、ジョグジャカルタへ移る
1824年ジョグジャカルタのスルタンの宮廷楽長となり、ジャワ音楽の記譜ほうを考案
1925年初めてバリ島を訪れトランスを伴う儀礼に衝撃を受ける
1927年バリのスカワティ家に招かれ、ウブドに移り住む
1931年ドイツ映画『悪魔の島』制作に協力
パリで植民地博覧会開催 シュピースも協力し、バリ芸術が大々的に紹介された
1937年アグン山南麓イセにアトリエ
ヴィキイ・バウム『バリ島物語』
1938年ベルリ・ド・ドーテとともに『バリ島の舞踊と演劇』出版
オランダ植民地政府風紀紊乱のかどで拘束、投獄
獄中でも絵を描き続ける
1940年敵国人として再び逮捕、拘留
1942年収容者を乗せた船がパダンからセイロンに向かう途中
日本軍の爆撃により撃沈 シュピースは享年47歳
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