忘れ去られたホワイトデー |
03月14日 (月) |
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まあいいんだけどね。バレンタインは大騒ぎするのに、なぜかひっそりしているホワイトデー。家の男共はすっかり忘れ去って何にもありませんでした。なんとも淋しい限りです。やっぱ、そんなもんだよね~男なんて!!
今日は、主人の父が4年間通った老人大学の卒業式だった。2月でたしか82歳になった義父が最長老だったらしいが、いくつになっても何かを学ぼうとする意欲を持っている義父をホントに尊敬している。いつも何かしら仕事をしていて、家でぼ~っとしている時がない。絵を描いたり、釣りに出かけたり、去年は中国に何度か旅行し、70歳を過ぎてからパソコン教室に行き、年賀状やちょっとした案内状は自分で作っている。時間があると、庭の手入れに日曜大工で何か作ってたり、こういう年のとり方って素敵だなあと思う。
もう随分前に新聞の教育のページに載った記事で、不適応症候群というものがあった。記事の内容を紹介すると
『幼稚園時代から親が選んだおけいこ事や塾に追われ、中学、高校は受験勉強。自分が何をしたいのかを考える暇もなく、成績に応じた大学、学部に入学する子供たち。大人が敷いたレール上で物事を考え、与えられた道筋を生きていくことが当たり前になっている子供たちが、大学を卒業して、社会に出た途端、自分で考え、行動しなければならないとしたら、当然不適応症状が出てくるだろう。ピンと張った糸はいつか必ず切れてしまう。子供たちも同じではないだろうか?
本来、人は一人の神の作品として尊く創造され、その人にしか立つことのできない場がある。ならば、教育とは、みんなが同じことを同じペースで同じようにできるようになることを目指した「どんぐりの背比べ」ではなく、
自分自身を見つめ、可能性を見いだし、世界で唯一の私としての歩みを選び、命輝かせていく手助けをしていくことではないだろうか?』
これは、1997年の新聞だから、今から8年前に書かれたものなのに、今も同じような問題を抱え、ますます深刻になっている現代。ゆとりの教育とか言いながら、現状では勉強と部活に追われ、子供がゆっくり自分の好きなことをする時間も取れない現実。時間に追われ、自分のやりたいことを見つけることもできない子供たちがますます増えてきている気がする。物が与えられすぎて便利な世の中で、自分たちで何かを作り出すことを知らないで育つ子どもたちは不幸だと思う。
義父のように、いくつになっても学ぶことがあり、ものない時代に生き、自分たちで何かを作り出し工夫しながら生きてきた人たちの強さを、私たちも学ばなければいけないな。
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Re:忘れ去られたホワイトデー(03月14日)
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くまちゃんさん (2005年03月30日 00時33分)
トミーさん、ご訪問ありがとうございました。
「わぁ、すてきなHP♪」
って感激しながら、思わずトミーさんの日記を読み進めていました。
そこで「不適応症候群」には、
ニートと呼ばれる青年たちについて
私が日頃から考えていたようなことが、
アカデミック(?)にまとめられていました。
卒論に役立たせてもらうかもしれません。
宜しいですか?
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Re:Re:忘れ去られたホワイトデー(03月14日)
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トミーさん (2005年03月30日 13時32分)
くまちゃんさん
>トミーさん、ご訪問ありがとうございました。
こちらこそ有難うございます。
>「わぁ、すてきなHP♪」
って感激しながら、思わずトミーさんの日記を読み進めていました。
いやあ照れるな~^^
「不適応症候群」卒論で役に立つならどんどん使ってくださいませ。
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