唐招提寺展 国宝 鑑真和上像と盧舎那仏
のために上野まで行ってきました
唐招提寺金堂が平成大修理(解体、組み直し)実施中
であるために実現できた展覧会とのこと
国宝 鑑真和上像は唐招提寺でも年に3日しか公開されないとか・・・
9時半からなので、早めにでたのですが10時10分前に着きました
思ったほどの混み方でもなくゆっくり見ることができました
時間がたつとだんだん混むのでこれから出かける方は早めに行った方がいいです
東京国立博物館のホームページはこちら
http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=1024
唐招提寺展のホームページはこちら
http://www.tbs.co.jp/p-guide/daiji/index-j.html
盧舎那仏像も鑑真和上像も国宝
粘土で造り、布を重ね、漆を塗って乾かして固めることを重ねてた
「脱活乾漆造り」で造られている
鑑真とともにやってきた弟子の手で造られたといわれている
とても柔らかな表現で仏への畏敬の念、
鑑真への尊敬、敬愛の念があふれている
鑑真は日本人の留学僧から
日本へ渡ることを懇請され、55歳のときに日本に行くことを決意した
742年 和上一言『これ仏法の為なり、なんぞ命惜しからむ』
しかし彼の徳望を惜しむ皇帝の反対、密告や嵐にあってはたせず
6回目の渡航にしてやっと日本にたどり着いた
このとき66歳
その時には弟子を失い、航海の途中で視力を失った話はよく知られている
第6回目は密かに遣唐使の船に便乗し(密航である),
753年(天平勝宝5)12月,
発意してより12年目にして沖縄を経由して九州に到着した
754年2月 瀬戸内海を抜け、難波津(大阪港)着。
754年4月 和上、東大寺大仏殿前にて聖武上皇、孝謙天皇に授戒。
東大寺に戒壇を設ける。
759年 平城宮右京五条二坊に、唐招提寺建立。戒壇を設ける。
763年5月6日 結跏趺坐のまま西面して76歳の生涯を閉じた
というような歴史が
盧舎那仏と鑑真和上像に重なってくる
鑑真和上と鑑真和上を慕ってついてきた弟子たち
中国の人々の
仏教を伝えたいという思いを強く感じ
その人びととその文化を迎えた
当時の日本の人びとの素直な喜びを感じた
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