幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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シンポジウム「子どもの幸福と地球の未来」に参加しました 02月05日 ()
こどもの幸福と地球の未来を考えるシンポジウムに出かけました
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2005年2月5日日テレホール
シンポジウム「子どもの幸福と地球の未来」
主催 日本テレビ(財)日本テレビ文化事業団
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■ 第1部 基調講演「戦争のない世界を子どもたちに」
ファン・ティー・キム・フック
(国連ユネスコ親善大使/キム財団創設者/カナダ・ヨーク大学名誉法学博士)
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ファン・ティー・キム・フック さんが体験とそこから学んだことを話されました。
平易な英語を使ってのスピーチ
(彼女はベトナムからカナダに来て12年です。母語によるスピーチではありません)
スピーチの構成、語り口、笑顔がすばらしかったです
苛酷な体験の中で、でもそれがあったからこそ
平和の大切さ、自由の価値、愛の癒す力、
残されたものの価値、信仰と許しの力などを学んだ。

 
 1972年6月8日、ベトナム戦争の最中、
南ベトナム軍の空軍機が自国民に対して4本のナパーム弾を投下するという悲劇的な過ちをおかした。
現地に居合わせたベトナム人カメラマン(AP通信社)のフィン・コン・ウトさんが、逃げまどう村人たちを撮影した。
この写真「戦争の恐怖」は、世界中に配信され、1973年のピュリツァー賞を受賞し、
アメリカの反戦運動を一挙に加速度を加える一因ともなった。

写真の中央で、裸で逃げている少女が、当時9歳のキム・フックさん。
一命をとりとめたキムさんは、重度の火傷のため14回の入院、
17回におよぶ皮膚移植手術を受けた。
今も天候が変わるときに強い痛みがある。

1982年(カオダイ教で育てられていたが)
     新約聖書を読みクリスチャンになる
1984年西ドイツでの手術で首が動かせるようになった
     しかし戦争の犠牲者のシンボルとしての役割を期待され
     ずっと政府の監視下にあった

その後
1986年医師になる希望を持ってキューバに留学。
1992年ハバナで同じ留学中のベトナム人と結婚、
モスクワへの新婚旅行の帰りに、カナダ、ニューファウンドランド島で飛行機が給油中に亡命。
その時手に持っていたのはハンドバックとカメラひとつだけだった。
何もない中でカナダでの生活がスタート
あの写真から逃げたかった

現在はベトナム人の夫と2児(10歳7歳の男の子)ととも
カナダ・トロントに住んでおり、ベトナムから来て貰った両親も一緒に暮らしている。
1997年からはユネスコの親善大使に任命され、世界中を駆け巡って平和のために活動している。
さらに、キム財団を創設して戦争の犠牲になった子どもの救済にあたっている。
2004年10月22日、カナダ・ヨーク大学から名誉法学博士号を授与された。

英語による紹介のホームページ
KIM'S STORY The Road from Vietnam
http://www.peace.ca/kimstory.htm

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■ 第2部 パネル・ディスカッション
 「子どもたちにとって平和とは、戦争とは」

● パネラー [コーディネーター] 吉岡忍(作家)
長倉洋海(写真家)
小山内美江子(脚本家/JHP・学校をつくる会代表)
菅波茂(AMDA代表/医療法人アスカ会理事長)
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長倉洋海さんのホームページ
http://www.h-nagakura.net/
JHP・学校をつくる会のホームページ
http://www.ne.jp/asahi/jhp/home/
AMDAのホームページ
http://www.amda.or.jp/
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菅波茂さんの発言から・・・・
何故アジアのNGOは人を助けるのかと問われた
困っている人を助けたい
困っているときには助けて貰いたい
フレンドシップのためだ

民族、宗教、文化を越えて
誰でも助けになりたい

相手のプライドを考えなければならない

NGOは最悪の想定の中で最善のことを追求している
家族の写真こそはパスポートだ
スタッフには写真を持っていって家族のことを話すように言っている
その話が本物ならばそこで信用される

AMDAの呼びかけ「ワクチン注射を打つ間停戦を!」に応えて
北部同盟もタリバーンも岡山本部にやってきたことがある
ワクチンを打てば25%が死なないですむようになる
こどもたちの未来を考えて戦争を超えることは可能だ

平和の定義
今日の生活と明日の希望を実現させる
今日食べられて、生活できて、こどもたちが教育を受けられる
命の普遍性

すぐにできること
すぐ何ができるかとアクションを考えるけれども
悲しみを共有するメッセージを届けることがまず第一
1995年阪神大震災のときに
パキスタン支部から1枚のファックスが届いた
「応援を派遣する用意があると」
それがどんなに力強かったことか・・・

小山内美江子さんの発言から・・・・
1945年鶴見で空襲の中を逃げた
     その時泣きながら逃げている母親がいた
     その背中の子どもは瀕死の状態であった
     自分の身代わりにこどもが死んだという悲嘆だったのだと思う

     私はこどもの死ぬ脚本は書かないことにしている

     カンボジアに学校を学生たちとつくっている
     毎年2000台のピアニカが必要です 家にあったら送って下さい

長倉洋海さんの発言から・・・・
こどもはこどもだけで生きているのではなくて
大人と生きている

何故撮るのかと問われる
自分への問いでもある

吉岡忍さんの発言・・・・
みんながニコニコと話して下さったことがよかった

皆さん楽しいからやっている
違った世界に触れることは楽しいことです
この方たちはみんな違った世界に触れることの楽しさの中毒になった方です

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シンポジウムのパネラーがそれぞれ深刻ぶらず、
率直にご自分の活動を話して下さったことがよかった
助け合うのはお互い様
まず悲しみを共有するメッセージをという指摘に
大切なものと受け止めた
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