震災10年の日に思う |
01月17日 (月) |
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10年前のこの日の朝、私は遠く離れた九州の宮崎で地震の第一報を聴きました。当時、早朝実家の手伝いをしていました。ラジオをつけてラジオを聴きながら仕事をしていますと、突然放送が中断され「臨時ニュース」が流れました。NHK放送局もかなり揺れているという実況放送に近いものでした。「窓から外を見ています。停電でしょうか。何も見えません。辺りはしーんと静まりまえっています。被害情報はまだありません。被害はあまりないものと思われます。」
ところが、明けて時間が経つにつれ犠牲者の数がどんどん膨らんできました。遠い地で何もできず、TVに釘付けになった日のことを昨日のことのように思い出します。ラボッ子の家庭も犠牲にあいましたね。亡くなった方も生き残られた方も辛く苦しい10年間だったと思います。
当時中1だった息子は大学生についてボランティアに参加しました。被災地神戸でバケツで水を運んだり、お年寄りの体拭きをしたりしました。しかし帰宅してから今日まで「ひどかった。」と言った以外は一言も街の様子を話しません。「シャッターを押せなかった。」と写真も1枚もありません。
10年の節目に亡くなった方のご冥福を祈ると共に、震災の事実を風化させることなく命の大切さを後世に伝えて下さいますようお願い致します。
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Re:震災10年の日に思う(01月17日)
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Rinさん (2005年01月18日 09時47分)
メッセージ、ありがとうございました。
遠く離れていても、阪神大震災をこうして思い出してくださる方がいらっしゃ
るのはありがたいことです。
息子さんがボランティアに来られていたのですね。ありがとうございますとお
伝えください。写真を写せなかったとのことですが、義父もそうでした。趣味
で写真をしていた人なのですが、全くカメラに触りませんでした。
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Re:Re:震災10年の日に思う(01月17日)
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フェニックスさん (2005年01月19日 00時37分)
Rinさん
→大変でしたね。危機一髪で九死に一生を得た瞬間の様子・・・恐怖と向き合
った瞬間の情景を思うと、かける言葉が見当たりません。
昨日、TVで盲聾の方の震災時の様子を取り上げている番組を見ました。震災
直後、目が見えず耳が聞こえない人々は、情報が入らず不安というよりは「恐
怖」だったと言っていました。
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