夜の市民講座に駆けつけました
メモのようなものです
4回連続講座の第一回
「小津安二郎とその映画的時代」田中真澄
小津安二郎は1903誕生1963逝去
東京深川に生まれた
小学校4年の時三重県松坂へ 本家は豪商
代用教員をした後上京
映画会社へ
1927「懺悔の刃」で監督デビュー・・・これは時代劇
*1929世界大恐慌起こる
1929「大学は出たけれど」・・・早稲田界隈
1930「その夜の妻」
丸の内のビル街・・・当時日本に唯一あったビル街の夜
岡田時彦の強盗
彼の妻と赤ん坊のいる、牛込あたりのアパートは洋室である
モダン東京、エログロナンセンスのあった東京
「小津はずっと松竹にいて
「 ずっと現代劇をとり続けている」
「 ずっと東京である」
結果として作品は、東京の年代記になっている
主人公は自分と同年輩にしている
絵空事が嫌いである
*1931満州事変勃発
1931「東京の合唱(コーラス)」
1932「生まれてはみたけれど」
不景気、就職難の東京
1933「出来ごころ」・・・・下町を描いている、人情もの
*1933には東京音頭が大ヒットしている
*1933国際連盟脱退通告
*1936 2・26事件起こる
1936「一人息子」・・・・・
女工をして仕送りをして東京へ出した一人息子の家へ
信州の工場で今も働く母親が訪ねてくる
一人息子は夜間の教師をしている
挫折の場としての東京という冷酷な認識
「東京物語」は「一人息子」のバリエーションであるとも言える
戦後、鎌倉から丸の内に通う勤め人の話
鎌倉という郊外の空間と丸の内という空間の往還
東京の記録者として小津をみるという面白い講演でした
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