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アイデンティティ |
10月14日 (木) |
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バンクーバーに来て約4ヶ月というRさんに会った。「英語は仲々上達しないけど楽しいです!」と彼女は笑顔で言った。「友達がいっぱいできました。」「シェアメイトも良い人。今のアパートのオーナーはフィリッピン系だけどスゴク優しい・・。」「こんなに『自由』で居られるなんて幸せ・・。」・・・とこの数ヶ月の様子を矢継ぎ早に話す。「悩んだけど、やっぱり来て良かった!」と言う彼女の顔は輝いていた。
中国大連生まれ。姉を頼って来日し日本語学校へ通った。勤勉な性格で一生懸命勉強して日本の公立大学へ入学し4年で卒業。日本で就職先も決まった。温厚な性格で友人も多い。しかし、中国人パスポートでは友人たちと自由に好きな国を旅行する事は許されない。日本で仲良くなった台湾の友人の国を訪問することもままならない。ましてや、他国に留学するには査証得るまでに相当高いハードルがある。
彼女は悩んだ末、帰化し「日本人」のパスポートを手にした。両親に相談したり、姉に相談したり、先輩に聞いたり・・・、自分のアイデンティティとの戦いだった、と言う。「国籍が変わっても娘は娘だよ。それでお前が幸せになれるのなら・・。」と中国の両親は言ってくれた。けれども、自分の中に複雑な気持ちが残ったと言う。「日本人」として新しい名前を取得しなければならない。自分の名前の「一音」を残して「日本人R」が誕生した。これからは故国へ行くのにビザが必要になった・・。
米国で英語を勉強しようと米国学生ビザを申請したが、「中国生まれ」を理由に拒絶された。近年アメリカはテロを警戒して学生ビザの発給を厳しくしているらしい。共産国出身の彼女にとっては新たな試練であった。折角取得した「日本人」の資格なのに、外国へ行く自信が揺らぎ始めた。どこへ行っても入管で断られそうな気がした。ある日(数ヶ月前)元気のない声で電話をかけてきた彼女に、カナダ行きを提案したのは私であった。カナダはパスポートだけでで6ヶ月間観光ビザ滞在が可能である。「行って、見て、それから学生になるかどうかを決めたらどう?」娘に連絡を取って空港まで迎えに行ってもらった。
この地バンクーバーで、彼女は世界中の国から移民して生活している人々を見た。肌の色も髪の色も目の色も違う人々が共に一生懸命暮らしている。カナダ国民として生活しながら、自分の祖国のアイデンティティを大切に守っている。何世代も前に移住し力強く生きている華僑の大先輩にも会った。ここでは大陸も台湾も香港出身者も全てカナダ国籍のChineseなのだ。
あの時の電話の声とは打って変わって彼女の声は弾んでいた。彼女は元気を取り戻し、再び自分の意思で歩み始めた。
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