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カナダ毛皮交易の歴史メモ(未完) |
09月27日 (月) |
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ビィヴァーは原皮のままではなく、
毛の部分のみがフェルト地に加工され、利用された
17世紀初めまでにビーヴァー・ハットの人気が定着
ヨーロッパ全体からの旺盛な需要が
19世紀ヴィクトリア時代まで衰えることはなかった
帽子は身分を表すものとして必要であり、まだ雨傘は発明されておらず、
風雨から頭を守るものとして重要であった
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1608年フランス、ケベック市に毛皮交易所を設け、
ヌーヴェル・フランス植民地誕生
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イギリスはフランスの支配圏であるセント・ローレンス川を避け、
北米大陸をスプーンでえぐったように深く入り込んでいるハドソン湾
を使おうと試みる
1668/6/3 ノンサッチ号 ロンドン出発
(航海300周年を記念して正確なレプリカがロンドンでつくられ、
現在ウィニペグのマニトバミュージアムに展示されている)
1668/9/28ハドソン湾の奥ジェームス湾着 冬を越す
1669年春インディアンと交易
1669年6月毛皮を満載してハドソン湾を出発
1669/10/10 流氷軍に苦しめられながらロンドン帰還
行きも帰りも4ヵ月近くかかっている
このノンサッチ号の成功を受けて
1670年ハドソン湾株式会社に特許状下賜
(デパートチェーン「ザ・ベイ」(ザ・湾)としていまも存続)
1672年ロンドンで競売
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8月の日記より転載
今日はマニトバミュージアムへ
この船は実物大のレプリカ と言っても本ものと同じにつくってあります
マストは松 甲板はオーク
1650年イングランドでつくられた船
54フィート、マストは80フィート
ジョリーロジャー号のサイズです・・・
イングランドからハドソン湾への航海は3ヶ月かかったそうです
フランスととの関係はいつも悪かったのでこのルートがとられました
乗組員は12名 (砂時計を使って時間を計り鐘で知らせて4時間交代勤務)
内4人がオフィサー
船長、ドクター、第1航海士(ナビゲーション担当)
第2航海士(ガン担当、2パウンダーの大砲が12門積んであります)
この人たちの料理は船尾の船室に運ばれます
他の人たちは甲板の下のキッチンで食事
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1688年英仏両国アウクスブルク同盟戦争を皮切りに、ほぼ100年の長期戦
1697年ハドソン湾の海戦でフランスに敗北、ハドソン湾の西北部はフランスへ
1713年ユトレヒト条約でフランスから領有権を取り戻す
この後毛皮輸出額急増
1759年フレンチ=インディアン戦争(ヨーロッパでは7年戦争)によりケベック陥落
1760年モントリオール陥落
1763英仏パリ条約によりヌーヴェル・フランス植民地イギリスに割譲
フランス系住民もイギリスに統治されることとなった
1779年ハドソン湾株式会社の最強の敵ノースウェスト会社誕生
毛皮貿易を争う
1781年西部先住民天然痘により五分の三が命を落とした
1793年再び英仏戦争
1819年西部先住民 はしかと百日咳により命を落とした
1838年西部先住民 再び天然痘により、壊滅的打撃を受けた
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