幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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稲田パーテイ20周年国生み
ポイポイの日記
ポイポイの日記 [全1476件] 1221件~1230件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
まったくの裏方に徹することが出来たparty合宿誕生!! 6 08月27日 ()
忙しい中高生にどれだけ最小限の時間で事前打ち合わせをさせて
本番でできるだけtutorである私が出ずに彼らが合宿をまわすことが出きるように持っていってあげられるか。
またその準備の様子を小3以上には見せておいて先での自分たちの姿を想像
させておくか。
そういうこととの兼ね合いが自分の中で一番大きな課題の合宿でしたが、
今年はそういったことが今までで一番満足いく合宿となりました。
欲をいえば限りなく色々とありますが、今の彼らにしてはそんじょそこらの
中高生には絶対できないラボッコだからこそできる彼らによる、彼らの
為の合宿ができたように思います。
結局このたび使用した施設はかなり!かなり!色々ときちんとしていて、というか、strictでして、団体主催者なる私は団体利用者ミーティングや夜のつどいなど、また翌日の国旗掲揚、宿泊部屋の拭き掃除なども約2時間余りに
時間をかける必要がありましてなんとほとんど私は子供達がどんな様子で
活動をすることが出来ていたのか、見ることができなかったわけです。
でも今年大山でシニアメイトをやりおえて帰った高1のSをはじめ、中学生7名がそれぞれの持ち味をだしてグループのリーダーとしてがんばっていたようで途中病院いきになった小学生を連れて行って帰った時もなんなく
プログラムはながれておりました。
たいしたもんだとおもいました。ついつい、彼らが幼児だった頃を思いだす
私です。確実に成長してきています。
中学生リーダーの一人が書いていました。「リーダーみんながんばっててよかったです!」
参加してくださったお母様方も一様に参加して良かったと感想文に
たくさん書いてくださいました。夜の2時半まで開催された中高年ひろばが楽しかったという方が多かったです、夜には珍客がなんども現れては
笑わせてくれましたがあれも普段見ることのないカワイイカワイイちょっと幼稚ではありますが彼らの姿なのです。彼らにとって親でも無い、先生でも無い、でも僕らを見守ってくれているラボのおばちゃん達は彼らには必要なんです。そのためにもmy partyの中高年ひろばを充実させていきましょう。
来年も合宿参加心よりお待ちしております。
プログラム外に各部屋で行われたおしゃべりの時間にお互いが分かり合えて
よかったと書いた子もいましたし、筋肉番付けを行った変な部屋もあったようです。その部屋に限ってクーラーが全然利かないのに汗だくになって上半身裸で男祭りが行われたいました。うちのpartyの子らしい妙なノリです。
主催していたのは心は永遠のちびッ子Kですから、ため息。
来年は中3になる7人がpartyにいるのやらいないのやらわかりませんが
party合宿にしたいねというのはもう出ている話です。
来年は似島か宮島かと、、、、行きのバスで酔ってひろくんから目に
ばんそうこうを貼られて寝る様にいわれたコーチSがかいておりましたとさ。
party合宿無事終りましたァ! 2 08月26日 (金)
昨年とは子供達がぐっといろいろな意味で力をつけてきているのを
感じた合宿でした。嬉しいです。
でも、ごめんなさい。
今宵はもうよれよれしておりますのでおやすみなさい。
また続きは明日以降、書くこととします。
お帰りなさい!ともう一回ハグして 2 08月23日 (火)
この夏は久しぶりに2回!!予定では息子を羽交い締めにする予定が
多少狂ってしまいました。
予定より少し早く空港のガラスドアの向こうに現れた息子の髪が
短くなっていたのです。
私達も髪型に目を奪われて、家族からの目線を感じた彼も「カーネルおじさんみたいな人に切られた。。」という会話が1ヵ月ぶりの会話でありました。
しまったーーーー。空港で実行できなかった私は、昨晩中、後ろから抱き付こうか、どうしようか、機会をのがした母は一人妄想の中からとうとう実行できずに今朝を迎えた次第です。
話題が髪の毛から抜けてさあ、空港から帰ろうかとなった時に、「ありがとう」と彼がいいました。
「行ってよかったでしょ?」とたたみかけていうとまた「ありがとう」と
いいました。
クラブとの葛藤で行くかどうかを選択しなくてはならなかった昨年12月、
泣いて悩んで「行きたい!」と選択した彼。
今はこの夏を満足しきっています。
クラブとの両立の問題は中学生にとっては大問題なのでした。
今朝も時差ぼけにもならずクラブにちょっと遅れてさっそく参加しようと
でかけた息子が1時間もせずして戻ってきました。
クラブの顧問から「おまえのおらん間みんなはきつい練習しとったんじゃ。
顔みせに来ただけなら帰れ!」といわれたらしく。
ちゃらちゃらお金かけて外国で遊んでたくらいにしか思ってもらえて
いないのかもしれませんね。
きっと国際交流に参加した運動系クラブに属するラボッコみんなが
こんな中でこれから葛藤しながらやっていくのでしょうね。
負けないでー!と皆にエールをかけてあげたいです。
帰国の報告 08月22日 (月)
が地区のラボッコやtutor方からはいってきます。
その子の日焼けしたような顔が目に浮かぶのと同じに数回お会いしただけの
他partyの親御さんの顔まで浮かんでくるから不思議。
どんな御気持ちだろう、帰ってきて今夜は何のご馳走を御母さん方は
つくられるんだろうとか、家族で会話されている様子まで考えてしまう。
今、ポイポイはただの母になっておりますものでもういつもにも増して
テンション高めに部屋中ウロウロしております。
きっとどこのお家でまっていらっしゃるお母様方もそうではないでしょうか。
今、飛行機で音楽きいてるかしら、感想文書いてるかしら、ジュース何度も
頼んでトイレばっかり行ってるんじゃないかしら。
はい。私はただの親ばかですから仕方ありません。
昨日、partyのKが東京のホテルに着いていると連絡がありました。
あの感動大作の手紙を送ってきたKです。
御疲れのようで電話ではそっけなかったようですが寝ぼけてもうろうとしているのかもしれませんしね。
無事に戻ったんだ。それだけでいいです。
自分が行った昨年とはまた違ったこのドキドキ感。
ラボの夏は低血圧の私も血圧100くらいになってるんではないかしら。
パーティ内送りだし、受け入れママ慰労会 2 08月20日 ()
ああああっというまの5時間。
今日は四人の送りだし家庭や受け入れを終えた家庭のママが集まり
ラボの国際交流に関して慰労会をいたしました。
あーだ、こーだと話はつきません。
どこも同じような話が出たことが印象的で、送り出す母や父親は
海外のニュースが出る度に内心大丈夫だろうかという不安を抑えつつ
きっと大丈夫!!と思って毎日を暮らしているというのに
もう孫を目に入れても痛くは無いおじいちゃん、おばあちゃんから
「ニュースでああゆっとったが大丈夫じゃろおか?」
「帰ってきたらもう外国は行かせるな」とか容赦無い不安大合唱コールが
あるという話。かくいう我が家も旅立つ日の東京地震に始まり、終りが
近つけば今朝wisconsinで竜巻があったけど大丈夫か?とどこのニュースでも
やってないニュースを仕入れてきて心配してくれるじいちゃん、ばあちゃん。
どこにいても何をやっても何か起こる事はあるし、ここにいれば大丈夫と
いうことはないから騒がないで欲しいと言ってもじいちゃん、ばあちゃんに
とっては自分の事より可愛い孫のこと。
1ヵ月過ごして帰ってきたら海外を飛びまわるおなごになるんじゃあないかと
気を揉む親戚のおじさんの話もでたり。
もうなんだかありがたい心配ですけれど笑えるねと。
受け入れにいたってはこの度は本当に素敵な良い子だったから
彼が去って数日は寂しくて仕方なかったようです。
彼が英語を話せる人と会った時に見せる嬉しそうな顔をみると
やっぱり英語が話せたらなあと思われたようで勉強する意欲が湧いたそうです。秋からのママラボが期待できそうです。
受け入れは人の振り見て我が振りなおせも経験できたり、感化されることも
たぶんにあったりホストになったYにとっては日本にいてまたとない良い体験ができたはずです。
明日からmy partyの3人がぞくぞく帰ってまいります。
もう一回だけhugしてやろうかねえ、ニ度とできんかもしれんからネエと
おばちゃんたちは思春期の真っ盛りだけどもちょっとアメリカの風にひたって
良い顔をして帰るだろう息子、娘を抱きしめるのを夢みているのでありました。なんやかやと話をしていましたらリーンと電話がなりました。
地区からニュージーランドへいったMちゃんからの帰国報告電話でありました。「帰りたくなかったですう」といっていました。
きっとみんな逞しく良い顔して帰って来るんだろうなあ、待ちきれないです。
あー、28日の事後活動で誰より先に地区の全員の帰国報告が
聞けるのが本当に楽しみです。
まあ、今日は楽しい時間を過ごしました。
合宿準備会をしました。 08月18日 (木)
来週の江田島合宿にむけて今日は小学生以上みんなで
準備会をいたしました。
なかなか忙しい中高生だけにあれやこれや合宿準備の負担をかけられないので
結構暇な時間がまだとれる元気な小学生軍団にもしっかりと
準備から関わってもらおうという計画のもと、実行されました。
とっころが、いつもの集会の鍵管理をしていらっしゃるお宅が
御盆でどこかにいってらっしゃって御留守なことに開始15分前に気が
つきました。やっべーーーーーということで、掃除もしてない我が家へ
どやどやと子供らに移動して来てもらいました。24人の子供がどうにかこうにか入りはしたのですがまあ、冷房のきかないこと。
みんなの熱気でむんむんでした。
2時間しっかり4グループに分かれてグループの仕事やきまりやグループ名まで
きめてしまいました。「スマイル」「命」「エタキャン」「毛」の4グループ
だそうです。できるだけ1日目予定の釣りや海遊びの時間を確保するために
できることはやっといて、合宿へのみんなの気持ちを盛り上げていきます。
ことしはなかなか瀬戸内海でも水の事故が多かった様で海遊びに際しては
お母様の監視隊も組まれようと今日話があがりました。
たのもしいかぎりです。
いろいろな形で子供達に機会を与えつつ、見守ってくださる方々があってこそ、できるラボ活動ですから。
食事の時のいただきますのあいさつから、ごちそうさまのあいさつ。
朝のつどいのソングまで決められる部分は決めてくれたようです。
要領よくすすめることが出きるでしょうか?!
5分前行動とどこかのグループから出たところで時計を持っている子は
持ってこようねと話をしました。
みんなが時間厳守でいけたらすごいよね。
夜のレシテーションの後のナイトハイキングでの恐い話はAちゃんと兄のSに頼みます。
大学時代サークルの合宿では恐い話はいつも私の担当でした。んー、子供達が
どこまで恐い話ができるのか私が楽しみなんですけど。
なんやかやでその後の3年生以上でのリーダーミーティングも1時間かかってしまい、一応予定していた細かい部分まで詰めることができました。
外で待ってくださっていたお母様方、蚊にさされはしませんでしたか?
ごめんなさいでした。
さあ、あとは来週帰るアメリカ組3人もまぜて充実の合宿が
できることを祈るばかりです。
できるだけグループは中学生と小学高学年にまかせてやろうといのが
高1のSとも話し合ったところです。
そのSはいままで私がやっていた総括をしてくれるということです。
さあ、私はできるだけこどもがやろうとしているのを待ってみて
先に先に口出ししないように我慢の合宿にする予定であります。
大人が出すぎる事は子供のやろうとする力を損なうことが多いなあと
最近特に心しているからです。
party合宿には9月から入会を考えてくださっているプレイルームさんも
参加されることとなりました。
みんなが事故なく楽しい良い合宿をできますように!
私を昨年受け入れして下さったホストから 08月14日 ()
昨日お手紙が久しぶりに届いてとっても嬉しかった。
というのも、受け入れして下さった2件のうち、片方のホスト宅にはパソコンがあるもので幾度となくメールのやり取りをしているのですがなかなか片方のお宅には大豪邸にも関わらずパソコンだけはないのだというお宅だったので
お手紙はかいたりしていたのですが今年に入って送ったきりしばらく途絶えていたのでした。なんと私もおとつい手紙をまた久しぶりに出したばかりだったので、もう丸で以心伝心?お互いのことを考えていたのかなあと
子供の友達がうろうろする狭い部屋の中で飛びあがらんばかりに嬉しくなってしまいました。
でも、、、、、内容にちょっと気になる点があって、すぐにでも誤解を
ときたくてまた手紙を書かなければ成りませんでした。
今年ワイオミング州との交流は突然中止になったようです。
5月に4H側で人員の件でなんらかあったように聞いています。
ワイオミングに引率に決まっていたシャペロンの方とも知り合いなので
またあちらの話をきかせてもらえるものと楽しみにしていました。
Rogerは手紙に「this year,I was not asked to host anyone from Japan.
Maybe we aren't good hosts.We really miss having our friends fron Japan stay with us」とありました。
Rogerのお宅はこの5年間ずーっとワイオミングに来るシャペロンの受け入れをしてくださっていたのです。日本から友達が泊まりに来るのを今年も楽しみにしていたのにと。受け入れをするということは本当に色々とストレスもあるでしょうに毎年快く受け入れをしてくださっていたわけです。
わたしにとっても2004年にあちらへ行ったラボッコにとっても最高だったホストファミリーの皆さんのなかで突然今年無くなってしまった交流を残念に思ってくださっていることはとても喜ばしい事ではあるけれど
中止になったのは決して誰かに原因があるわけではないので早急に伝えたくてペンを走らせるとともにたまたま今朝メールをくれた片方のホストに
できれば早く誤解を解きたいので電話でもして伝えてもらえないかとずうずうしく頼んだ次第です。
わたしたちにあんなに良くして下さったホストにイヤな思いを抱かせているなんて耐えられませんから。
こんなに楽な夏休みでいいの? 08月13日 ()
と思っています。
どんなにか家の中でも私が長男に手をかけ、気をかけやってきたのかが
よーくわかります。娘だけだと全く穏やかなもんです。
平穏無事な夏休みがもう半分終っただなんて信じられません。
かくいう息子が今wisconsinでどうしているかというとホストマザーからのメールによるとアメフトの練習に参加させてもらっていたのでしょう、終った昨日、Wisconsin badgersのシャツをプレゼントされたそうです。
初めて見るアメフトに参加してどれだけも貢献できたわけではないでしょうけれどきっと楽しかっただろうなと想像できます。体さえ動かしていれば
幸せなホンマモン体育系息子ですから。
またステイの中ごろに行われるpicnicでは久しぶりにシャペロンやラボの仲間とも再会してgameを楽しんだとの事。来週はboat fishingにでかけるんだそうです。相変わらず全てうまくやっていて彼も楽しいといっていますと伝えてくださいました。
本人からステイ開始直後にホテルで書いたらしい手紙が届きました。
妹達へそれぞれ、絵の宿題をしといてくれだ、世界陸上のビデオをとっといてくれだの、私にまで学校に一式忘れたかばんをとりにいっといてくれだの要望が並んでおりました。
先日のpartyラボッコKの感動的なお手紙とは。。。。。。。違いすぎます。
期待した私がおろかものでした。彼はあいかわらず、そのまんま裏も表もない
普段から素の彼なのでしょう、、、ううううう。
ともかく能天気息子の珍道中もあと10日。
やっぱり指折り数えている自分がいます。
さよならBryan日本食farewell party 2 08月09日 (火)
集会所の関係で時間的に3時間しか会場を借りれない中、昨日
party全体でカナダからホームステイに来ていたBryanの
さよならpartyを決行しました。
焼きそば、おむすび、カレーライス、豚汁の4つのグループに
分かれて1時間でBryanとお料理です。
彼もゆーさんの幼稚園時代のエプロン?と思われるような小さなエプロンを
つけてやきそばを箸でこねくりまわしたり?手に水と塩をつけて
丸いおむすびを握ったりしていましたよ。
途中で何度もヒュ―ズを飛ばしながら汗だくになってみんなも普段あまり
おうちですることのないお料理を楽しんでいましたね。
大体お料理が出来上がった所で中2のRのリードでみんなはスイカ割りです。
ギャーギャーいって一番エキサイトしていたのは小学生低学年くんたちで
もう誰のためのfarewellか分からない様子でBryanも
「しかたないなあー」ってな表情でしたが弟が3人もいる彼は自分の
順番までひたすら数十人分待ってくれました。自分の順番が来たら
目を輝かせて目隠ししてスイカ割りをしてる様子をみて、16歳といっても
まだまだかわいいなあーと思った私です。
そのあとBryanから「7stand thumb up」とかいうカナダのゲームを教えて
もらったりキャンソンをしたのですがたのしかったですねえ。
さあ、お母様がたが見て煮込んでくださっていたカレーや豚汁もできた所で
夕食会です。
ああー、あそこでもここでもこぼしたり、ごはんつぶを落したりする光景が。
以前会場で食べ事をしたあと、厳重注意を受けた事があるもので
私は食べる暇もなく気が付いた所からふいてまわりました。
でもみんなうれしそう。
これが見たいんです。
これが私の楽しみでこの笑顔の為にlaboやっているようなものなので
私は満足でした。来てくださった8人ばかりのおかあさまがたには
本当に申し訳ないくらいお料理でお手伝い頂きましてありがとうございました。おかげでみんなとっても良いBryanとの数時間を過ごす事ができました。
みなさんのご協力ないところでは一人では何もできない私です。
どうもありがとうございました。
フィナーレではみんなから練習した「ひとつしかない地球」のお歌の
プレゼントと何より彼が喜んだのは一人一人からのBRYANへのメッセージ
入りファイルでした。
ずっと、ずうっっと嬉しそうに1枚1枚めくってはみんなに囲まれて
眺めていました。みんなの気持ちは通じたことと思います。
「さよならブライアン」とラボッコが日本語と英語で2枚書いた
BANNERもファイルに綴じました。
初の受け入れは受け入れしたPARTYも来てくれた彼にも大きな喜びとなったことを実感しています。受け入れして下さったS家のお母様がいってくださいました。
「言葉には最初苦労したし、きっとはたから見たらおかしいやりとりだっただろうけれど全身使って意思疎通ができました。きっとアメリカにいるラボッコもこんなだろうなと思いました。良い国際交流ができました。」と。
受け入れの場合、本当に一番大変なのは食事の準備やおでかけのプログラムを
組むお母様だったかもしれません。
それだけにいろいろな思いをされたのはお母さまだし、最初にさよならで泣いてしまわれるのは間違いなくお母様かなあって思いますが皆様いかが思われます?とにかく受け入れも素晴らしい体験ができますよ!
先日体験会にいらっしゃた方が 6 08月08日 (月)
突然また玄関にピンポ―ンといらっしゃいました。
こどもさんも連れて。この度は宗教の勧誘にいっらっしゃったみたいなので
ありがとうございますと丁寧にお帰りいただいたのですがね。
戦後60年なので平和について考えましょうとおっしゃってました。
テレビでもこの数日原爆関連のものが多くとりあげられていました。
なかでも2つ。とっても心にずっしりときたものがありました。
1つはもと女優で現在大学在学中の斎藤ともこさんが原爆小頭症の家族に
ついてレポートをまとめられるまでの軌跡をおったものでした。
お仕事の関係で広島の原爆に関することに触れられたのをきっかけに
母親の胎内で被爆した方々のことを知って、今年59歳になられる広島に住む23人くらいの方々とそのご家族を自分の足でたずね歩いてその方々の
事を通して原爆のおそろしさと現実を後世に伝えようと数年かけて
レポートを書き上げられたそうなのです。
自身も原爆による後遺症で苦しみながらの80過ぎの親御さんが60近い小頭症の子供の面倒を見ておられました。
自分が亡くなったとはこの子はどうなるのだろうかと涙を流していらっしゃいました。
人と人の戦いは小指の先ほどの胎児にまで害を及ぼしその本人や家族を
一生苦しめることになったのです。原爆小頭症のことは耳にしたことは
ありましたがその方々の現実を知ったのははずかしながら初めてでした。
もう一つ、心に残った番組では広島に落とされた原爆を作り、
それを広島に投下しきのこぐもを上空から撮影した科学者が
広島を訪れ被爆者と対談するという強烈なものでした。
被爆者のお二人は「実際に原爆をつくり投下した人を目の前にし平常心で
いられるか心配だった」と語り、どうしても「謝って欲しい」とつめよられましたが、その科学者は「I don't apologize」と断固としておっしゃいます。
「なぜなら自分も真珠湾で多くの友が命を失ったのだ」と。「戦いは全てを
狂わせる。2度と原爆をおとしてはならない」とはおっしゃいましたが
「戦争になったら全てみな加担してきたのだから私は謝らない」と。
双方とも後味の悪い対談であったようで、それだけに後々
考えさせらています。
今も戦争中の国があります。地球上の全ての人が戦いで涙を流す事が
ないようにどこの国の誰もが平和であってほしいです。
今日はpartyでカナダのブライアン君おわかれpartyです。
家族と離れ広島でS家とpartyみんなのおかげで平和に1ヵ月を過ごした彼。
今現在アメリカのホストファミリーの大切にされているうちのpartyラボッコ
3人。彼らは国際交流して他国の人のやさしさに包まれたことがあるならこれまで以上に世界の平和について考える事ができるだろうなと思っています。
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