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昨日のアースデイコンサート、金曜日はパーティのある日で振り替えも難しかったのであきらめ、中高生クラスでみんなといっしょにインターネットでのライブを観ようと思っていたのですが、いくらアクセスしてもつながらず、かなり残念な思いをしていたら、早速ひろばラボで、たくさんのご報告の日記が・・・同じ地区のテューターの方からもメールをいただき、自分が行かれたような気分になりました。
幸い月曜日には、教務研修があり、アースデイに行かれたテューターともお会いできるので、そこでもたくさんお話が聞けそうで楽しみです♪
この日のクラスで、放送委員をしている中学生のラボっ子が、「今日給食の時間に『ひとつしかない地球』をかけたんだよ」と教えてくれました。なんとタイムリーなこと。放送委員の子が気に入ってくれて、これからもかけるそうです。
この曲のメッセージが、日本全国に広まるといいなぁ。
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文藝春秋5月号の中の「教育再建」という特集の中のひとつだが、タイトルが示すようにちょっとショッキングな内容だった。執筆者は作家の藤原智美さん。
頭の中にイメージを描けない子供たちが増えているというのだ。目をつむれないというのは、何かを思い浮かべるため目を閉じてみようというときに、閉じていられないということらしい。たとえばキュウリを描いてみてといっても、キュウリを知っているにもかかわらず、自分の頭の中にキュウリのイメージを作り出すことができない。できないので絵に描けない。ある絵画教室で「遠足」をテーマにした絵を描かせたところ、ある小2の子が1時間かけて描いたのが茶色のかたまりがひとつ。聞くと「お弁当のから揚げ」だった。場面として画用紙いっぱいにまわりの風景や友達などを描く子が減っているという。
このような描写力だけでなく、語彙も減っていて話す力そのものも落ちているという。筆者は、この2つを関連付けている。つまり言葉がたばねられて想像力として開花していないから、イメージを膨らませることができないと。
「イメージを膨らませる」ということは、ラボでは当たり前のように語られる。そしてそれが、豊かな言語活動の大切なキーワードだということも。この文藝春秋のルポを読んで、あらためて再認識した。今、支部の教務では、言語習得の道筋をさぐるとして、こどもたちのテーマ活動時における会話の記録や描画活動もシエアしていく研修が始まろうとしているが、「ことばがたばねられて想像力として開花したもの」として見ると、ラボっ子たちの絵が、たくさん語るものを持っていることに気づきそうだ。絵が描けるということはすばらしいことなのだ。
このような子供たちの変化の原因として、幼児のまっさらな脳が、超早期教育にみられる一方的な知識の導入や身体性の伴わない学習などから影響をうけて変化をしていることを挙げている。
私は、「想像できない」子供たちの事例が出てきているということにショックを受けた。子どもは本来想像力が豊かだと思っていたから。「イメージ」が描けない子は、どうやって抽象概念を理解していくのだろう。外国語どころではない言葉そのものの危機である。
「ことばがこどもの未来をつくる」の意味を重く受け止めた日だった。
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来る5月10日(火)、ひろば@LABOのkeikoさんのHPで紹介されている「ベビーサイン」の講座を富士市で開催することになりました。
名古屋市認定手話通訳者である講師の近藤先生の「ベビーサイン」は、手話を取り入れた日本語に合ったベビーサインというのが特徴です。今子育て中のおかあさんはもちろん、おばあちゃんも、未来のパパやママ、そして保育にかかわっている方、参加をお待ちしています!
詳しくは左のページ一覧の中の「ベビーサイン講座のご案内」をクリックしてください。
この開催は、富士市のお隣の富士宮市の子育てサークルのおかあさんたちの要望でもありました。ことばがしゃべれない時期の赤ちゃんとの生活は、試行錯誤の連続。でもこの時期にママたちがいっしょうけんめい赤ちゃんの気持ちにそっていこうとすることで、親子のつながりってできていくんですよね。「ベビーサイン」はそんなママたちの頼もしい味方になってくれそうです。またラボでいえば、プレイルームを持つテューターにとっても、PR年代のラボっ子との意思疎通の方法として有効な手段とも思います。各地ですでに開催された講座の様子を拝見し、私自身、直接お話を聴くことができるのを楽しみにしています。
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まだまだ大丈夫と自分の体を過信していたら、いろいろ問題が生じていた。コレはいけないと、まずはウォーキングをはじめることにした。 新年に家族がそれぞれ豊富を言い合ったとき、「私は体力づくり。ウォーキングで基礎体力を回復して、スイミングでダイエットする!」と宣言せいか、今まで何とか続いている。少し前に地区のあるテューターが「ちょっとすっきりしたんじゃない?」と言ってくださり、ますますやる気になっている今日このごろである。
3ヶ月目に入り、思わぬ効果も出てきている。
この春、支部での春研、1日広場で大いに刺激を受けて、やはり仲間作りが大事、苦手な募集をがんばらなくてはと思い、先週はチラシ配りをした。これが前に比べてとっても楽。体が軽くなった(?)せいで、少し遠くに足をのばせるし、新しい住宅地やマンションも発見し、駐車する場所を気遣うことなくゆっくりポストインができた。今まですこし緊張していたチラシ配りが楽しいとさえ思えてきたのが私にとっては大きな変化である。
ラボがある日はつい、その準備と家事に追われて勝手に時間がない!と思っていたけど、精神的な余裕がなかっただけで、ある時間をウォーキングにかならず充てることでかえって気持ちに余裕が出てきたような気がする.ついでに地域の「声かけ運動」にも協力しよう。でも今の花粉対策の完全武装では、かえって怪しまれるか。。
4月には、三嶋大社の桜が咲き始める。桜を楽しみながら、楽しくチラシを配り、桜の写真を撮ってHPに載せようと今から意気込んでいる。
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きのう6時のニュースをつけながらバタバタと夕食の支度をしていたら、テレビからけたたましい鳴き声が。「これは、ハワイでカエルが異常繁殖して・・・」というコメントが聞こえてきたので、「えっカエルだったの?」と思ってテレビの前にいったら、ハワイでコキーガエルというカエルが異常繁殖して、あまりの声のうるささに住民が悲鳴を上げているというニュースだった。「コキー」といえば、あのSBμの”The Frog"にでてくる鳴き声。ちょうど先週のラボで、「コキーってカエルの鳴き声??そういうふうに聞こえるのかなぁおもしろいね。」みたいな話が出ていたので、「このカエルだー!」と思わず叫んでしまった。とても小さいカエルだった。そういえば、歌詞にも”Little frog sings a lullaby・・・”ってあったっけ。
「子守唄を歌っているんだよね。この歌は。でもニュースでは騒音になっているんだ。」とつぶやいていると、娘が「おかあさん、なにブツブツいってるの??」娘は宿題をしていて気づいていない。
このコキーガエルはもともと南米原産の種類だそうだ。SBμの本を見たら、そのとおり、プエルトリコ民謡となっている。
ほんとうに知らないことがまだまだたくさん。でもラボのSBを知っていたからこそ、このニュースがとても新鮮だった。そしてこんどこのSBをうたうときは、あの小さいコキーガエルをイメージしてみようと思っている。
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ラボっ子のお父様であり、大学では脳と心の発達を専門に研究している先生が、お子さんの通っている小学校で出前授業をするというので声をかけてくださり、夫と共に出かけてきた。
普段は大学生にむけてする話を小学生向けにまとめられており、とてもわかりやすく、またラボの考え方とも共通する部分もあって勇気づけられるお話だった。
私なりの受け止め方かもしれないが、まとめるとこんなお話だった。
心とは脳の働きであり、心の成長は脳がどのように使われてきたかで変わってくる。脳の中を情報が伝わる道としては、2つの道があり、ひとつは刺激情報を受けたらすばやく反応する道(びっくりしたら体がとびあがったり、あぶないと思ったらよけたり)、もうひとつは刺激情報をうけてもじっくりゆっくり反応する道(これは何かと考えたりする)である。両方の道をバランスよく刺激し、育て、お互いを協力させていくことで、心の健全な発達となる。
ひとつの歌をあじわうとき、写真や絵をみたとき、最初にくる反応は、「楽しい」とか「きれい」とか「こわい、きもちわるい」といった単純なものだが、歌詞の意味を考えたり、背景や事情を考えたりしていくと最初とは違う反応が出てくる。大事なことは、この2つの反応が互いに影響しあうことである。こういう過程を経て、いろいろな世の中のできごとなどに、自分の気持ちを重ねていくことができる。それを「共感する」という。たとえば単純な反応だけでは、「きたないからいや」とか「きれいだからすばらしい」などの短絡的な判断をすることになってしまい、また知識だでからの反応では、「頭だけで分かっている」状態になってしまう。脳の中にはこの2つをまとめる役割をする部分があり、ここを育てるには、仲間と外で遊んだり、自然に触れたり、スポーツ、読書、表現活動などが考えられる。(TVゲームは×)
お話を聞きながら、ラボ活動におきかえてみると、テーマ活動を作っていく過程は、脳のいろいろな部分を刺激していて、科学的にみても
「テーマ活動でラボッ子は成長する」ことが証明されたようで、ひとりでうなづいていた。もちろんしっかりとテーマ活動をしたらの話だけど。
単純な反応の方も、原体験が豊かであれば、反応の数が変わってくるという。
先生は、ご父母としていつもなにか行事のあとは、感想をFAXしてくださったり、キャンプに積極的に出してくださったりラボに対して温かい目を向けてくださっている。そう思うとテューターの責任はますます重大とあらためて思いながら、帰途についた私だった。
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ラナンキュラスの球根をはじめて植えて2ヶ月。待望の発芽が。。!
植えるまでにちょっと手がかかったのでとにかく感激。
ちょっとむずかしいと聞いているのでまだ安心はできないが、頭の中は咲いた状態のイメージが浮かんでくる。どうか無事に咲きますように!
嬉しいことがもうひとつある。ラボへの気持ちが後ろ向きになって12月いっぱいで退会かと聞いていたKくんが、またやる気になってくれたこと。きっかけは合同練習だった。どの時点で変わったのかよくわからない。テーマ活動をいつもよりおおくの仲間と動いていただけだ。不思議なことに前半はちょっと固かった表情が終わる頃には笑顔が見られるようになっていた。これは子ども達の力というしかない。ラボっ子たちに感謝!である。
おまけにもうひとつ嬉しいこと。ホームページに大きな画像が載せられるようになったことです。古ギャルさん、さっちゃんさん、ありがとうございました。
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12月5日に「馬頭琴とモンゴルのうた」と題して、横田和子さんという馬頭琴演奏家を招いてのパーティ主催行事を行った。
23日に控えている地区発表会に向けてラボっ子に直接馬頭琴に触れて欲しかったのと、地域の人たちに「ラボパーティ」を知ってもらいたいという思いがあり、なんとか実現にこぎつけた。
横田さんの所属する会社は、各地の小学校やいろいろな施設で依頼に応じて、馬頭琴演奏、モンゴルの歌を紹介しながら「出前授業」を行っている。
大学院卒業後にモンゴルに留学したという経歴から、どんな方かなと思っていたら、とても気さくで優しい雰囲気を持った方だったのですぐに打ち解けてお話することができた。
馬頭琴演奏
「スーホの白い馬」の朗読。すこし緊張しました。
馬頭琴の体験 モンゴルの衣装も体験 モンゴルクイズに挑戦 馬頭琴の弦がほんとうに馬のしっぽでできているのを見て感激している子もいた。またモンゴルの衣装、ミニチュアのゲル(パオ)、シャガァという羊の骨でつくったおはじきのようなものも紹介してもらい、みんな興味深く聞いていた。
モンゴルの遊牧生活では、動物たちをとても大事に扱っていることもわかった。羊も大切な食料だが、食べるときは感謝し、すべてを無駄なく使う。またことばにも動物をたとえにしたものが多い。
そして歌。このときは「ブーウェイ」という子守唄を教えてもらいみんなで歌った。あっというまの1時間。ご父母のみなさん、外部から参加してくれたお友達もいっしょに楽しいひとときだった。
紹介してくれた衣装その他はプレゼントとしてそのまま置いていった下さったのでパーティ活動中に飾っている。また横田さんのCDもいただいた。「草原歌集」というそのCDは、モンゴル民謡への入り口としてとても聴きやすい。どこか日本の民謡にも似た旋律は、モンゴルと日本が同じアジアの仲間であることを再認識させてくれる。マイブームになりそうである。
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12月の地区発表会が1ヵ月後にせまってきた。発表テーマは『スーホの白い馬」。こういうしっとりとしたお話は今まで発表でとりあげたことがないので、どんなふうになっていくのかちょっと心配でもある。今回このテーマを推したのは高学年グループであり、最後が悲しいせいか(最後に悪い王様をやっつけるとういうのでない)低学年グループはあまり乗り気でなかった。でもモンゴルのことを調べて家のこと、食べ物のことなどをみんなで話したりしているうちに、ゲルの中にある道具を箱で作ってきたり、馬頭琴を作ってきたり、だんだんその気になってきてくれたようだ。でも動くと、ひつじは脱走するわ、おおかみとけんかするわで大騒ぎ。
他のグループもだんだんスーホの住む国、生活などのイメージがつかめてきたのだが、これからの課題はそれをどう表現していくか。スーホのうたが、馬頭琴が響きわたったモンゴルの草原、遊牧の生活、競馬、どれもスケールが大きすぎてなかなか表現がまとまらない。白馬とスーホの心のふれあいをしっかり伝えたい。でもどうやって・・?テーマ活動の苦しいところ。とにかくあせらない。あせらない。この秋、支部研修と地区の教務地区研で自分なりに感じたことを心にとめて取り組んでいかなくては。
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先週のプレイルームでのこと。前の週まで「ぐるんぱのようちえん」を楽しんで、この日は新しいお話に入った日だった。
T「じゃあ来週からこのお話であそぼうね」といってグッバイを歌ってお茶タイムにはいったとき、Mちゃんが「ぐるんぱの、おはなしをします」といって立ち上がった。そして絵本を持って舞台(押入れの前)へいき、ふかーくお辞儀をした。テューターとおかあさんたちが思わず拍手をしたら、ちょっとはずかしくなったのかちょっともじもじしてしまったMちゃん。でもなんとか立て直しておはなしを始めた。
1ページめ。「ぐるんぱがないてます」といったら、すぐ2ページめへ。展開がはやいぞ(?)「ぐるんぱが、まんなかにすわっています」
もうひとつ本のなかのことばをいってくれたのに思い出せない。そして川の場面。「にひきのぞうが。。なんだっけ、、ゴシゴシ。、ニヒキのぞうが、シャーシャーシャー・・・」そして見送るところ「グバイグバイグバーイ!」と大きな声で言って・・・そしてなんと終わってしまった。テューターとおかあさんたち「あらっ終わっちゃったの~」
ほんとはおうちではもっとたくさんお話してしているんだろうな。でも「グバイ・・」のところは先週動いた時、しまうまやきりんになって手を振っていたところの言い方そのものだったし、なによりおかあさん以外のみんなを前にしての「はじめてのすがたり」。拍手をもらってMちゃんはてれながらも嬉しそうだった。
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