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035
風のかよい路、〔がの〕さんの庭にて。
どうぞお気軽に。互いの率直な感性をそのままに交換いたしましょう。


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がのさんの掲示板 [全2358件] 941件~950件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日) [ 関連の日記 ]
がのさん (2006年06月14日 22時35分)

さちこさんさん 【その1】

>数多く並ぶ作品を前にしてはじめて、ハプスブルグ家がブリューゲル
コレクションで有名であることを知りました。訪れた季節が冬で外が暗
かったせいもあるでしょうが、「こわい!」「重い!」「教科書と違
う!」「なんで?!」小さい子どものような感想で申し訳ありません。で
も、これが当時の正直な生の印象でした。

⇒ありがとうございます。旅先での美術鑑賞となれば、どうしてもでき
るだけたくさんの作品を観る、というのが行動様式で、一点、二点をじ
っくり観る、というふうにはなかなかならないのがふつう。わたしはヘ
ソ曲がりなものですから、気になるものがあるとそればかりをいつまで
も観ているほうで、あとになって、こんなのもあったはずじゃないか、
といわれて、そうだったかな、といった調子で、ボーッとしているとい
われます。そのくせ、図録は重いのでほとんど買わない。買っておけば
よかった、と後悔することもしばしば。ブリューゲルの絵なんかです
と、放っておけば半日くらい一つの作品の前から動かないことがあるか
も知れません。混雑していれば別ですが。「怖い」「暗い」「気味がわ
るい」、にもかかわらず、なぜか残像があざやかなままで消えない、と
いう印象は正直なものでしょう。なぜ印象深いのでしょうか。一口でい
えば、すぐれた絵だからです。魂のこもった作品だからです。リアリテ
ィがあるからです。
「アート回廊=1」で、二点の「バベルの塔」を並べてみました。建設中
のもののほうは、部分の細密部分も。複写がじょうずにいっておらず、
見にくいかもしれませんが…。ラボの絵本でバベルの塔がどう表現され
ているか、わたしは知らないのですが、ヒュブリス(人間の傲慢さ)とい
うことがライブラリーとしてどういうふうにテーマ化されているか、今
度見てみたいと思っています。

ちょっと話をずらすことになりますが、明日(6月15日)、月1回のふれ
あい読書会で、ツイアビの「パパラギ」について、地域の中学生と旧世
代の人たちを対象に話をすることになっています。サモアのある小さい
島の酋長ツイアビがヨーロッパ旅行で目にした文明社会を先入観に邪魔
されることのない、曇りない目で見て、それを帰島後にポリネシアの同
朋たちに語ったものをまとめたもの。【つづく】
Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日) [ 関連の日記 ]
さちこさんさん (2006年06月13日 23時08分)

恥ずかしながらブリューゲルを鑑賞するためではなく、
画家ムハの愛国心を追いかけるべくして行ったチェコ旅行の帰り、
トランジットの都合でウィーンに寄り、
時間があったので美術史美術館を訪れたのです。
数多く並ぶ作品を前にしてはじめて、
ハプスブルグ家がブリューゲルコレクションで有名であることを知りま
した。
訪れた季節が冬で外が暗かったせいもあるでしょうが、
「こわい!」「重い!」「教科書と違う!」「なんで?!」
小さい子どものような感想で申し訳ありません。
でも、これが当時の正直な生の印象でした。
立っているのが辛く、ベンチに座ってずっと眺めていました。
ただ、その他にもたくさん見たはずの絵の印象は残っておらず、
ブリューゲルだけがずっと頭の中に残っていました。

>実物とホンモノ

そういった意味では、私は実物はこの目で見ましたが、
ホンモノに出会ったのは日本に戻ってきてからだと思います。
画集を眺めたり、
ブリューゲルやハプスブルグ家について調べ、
学生時代の中世ヨーロッパ経済史の教科書を引っ張り出し
農民の生活について調べ・・・。

かの地を訪れたのはかれこれ10年以上前になります。
その時ページを繰った本は全て、嫁入り道具と一緒に持って来ました。
これからもどんどん「ホンモノ」に近くなっていくのだと思います。
Re:Re:Re:Re:Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日) [ 関連の日記 ]
がのさん (2006年06月11日 21時39分)

ちこらんたんさん

>自分なりの思想や価値基準は持っているつもりですが、受け入れたい
ことが多すぎて、自分のキャパシティを超えてしまうと感じる時がある
ことも事実です。時間のある独身のうちにもっと貪欲に求めていて、今
整理されていたらもっと楽だろうになと。
でも、私はまだいろいろ迷ってもいいんじゃないかと思っています。未
熟者の私が、価値をしぼって深めていくのは、まだこれから。

⇒ドイツで道に迷ったアン(ポンタン)女王。迷ったことで、つかんだも
のの大きさがいまになってよくわかってきたということじゃないでしょ
うか。迷うことで求めるものが意識化され、一歩ずつ前へ進めるんじゃ
ないですか。そう、自分なりの信念や価値基準、そんなむずかしげなこ
とを言わないでも、自分の人間としてのシン、主体の実感が持てていな
いときには、人間は迷うことはなく、どうでもよいこととして流れてい
きます、すべてが他人事として。
まだまだ未熟者として、それならどうあるべきか、と考えるから、迷う
んですよね。考えるからいつまでたっても人間は迷妄の闇のなかにい
る。そういう存在としての人間。
 おかあさんにときどき叱られるから、カチリとアタマにきたり、もや
もやすることはあっても、少しは料理はじょうずになったろうし(う
ん?)、部屋の掃除、片づけごとにも、多少、気がまわるようになった
(だろう)し、三十路なかばの女らしい落ち着きも出てきた、というわけ
ですね。
うん? これはあまり関係ないかな。
Re:Re:Re:Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日) [ 関連の日記 ]
ちこらんたんさん (2006年06月11日 09時22分)

がのさん 【その2】

>「人と話す」=「人の話を聞く」、…大事なことですね。楽しいことで
すね。ですが、それがただの教養趣味であるかないか、八方美人のお体
裁の社交術にとどまるものかどうか、ただの時間の浪費であるかない
か、それを分けるのは、主体に芯があるかどうか、ではないでしょうか(

本を読むのって、内なる対話ですよね。
それをしていない人とは、確かに話していてもつまらない。
(私は最近たぶんまだ過去の遺産-昔読んだ本の経験-で話しています
が、枯渇しないよう、もっと読んでいかなくてはと思っています。)
仕事上とか子どものことなどで、広くいろんな人と話さなくてはならな
いこともありますが、興味深い話でないと、やはり長くは聞けないで
す。

>そのことは、リンドバーグ夫人の「海からのおくりもの」にふれなが
らすでに書きました。芯をもつことによってくっきり見えてくるホンモ
ノの世界というものがあるように思います。自分なりの思想も価値基準
もないまま、あれもいい、これもいいと、何でも受け入れるためには、
人間が神からさずかっている知的キャパシティは、あまりに狭く、脆弱
すぎます。それが人間の弱さ。何でも受け入れているつもりが、じつは
何ひとつ自分の中に残っていない、ということもよくあるわけでし
て…。
ハハッ、ここでもチトきびしすぎることを言いましたかね。そう、期待
しているから。

いえ、よく分かります。
自分なりの思想や価値基準は持っているつもりですが、受け入れたいこ
とが多すぎて、自分のキャパシティを超えてしまうと感じる時があるこ
とも事実です。
時間のある独身のうちにもっと貪欲に求めていて、今整理されていたら
もっと楽だろうになと。
でも、私はまだいろいろ迷ってもいいんじゃないかと思っています。
未熟者の私が、価値をしぼって深めていくのは、まだこれから。

>ときには辛口になることがあるとすれば、期待が大きいということで
あり、あるいは、目だけでなくわたしの耳にも衰えが出てきたためかも
知れません。

何をおっしゃいます!
諌めてくださる方はなかなかいないもの。貴重です。
(目の前の小さなことでは未だによく母に叱られますけど・・・)
Re:Re:Re:Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日) [ 関連の日記 ]
ちこらんたんさん (2006年06月11日 08時54分)

がのさん【その1】

>辛いですか? そんなことはないでしょう。いつもほかの人から、ち
こたんには特別に甘すぎる、何か魂胆でもあるのか、と嫌味をいわれて
いるほど。辛かったとすれば、それはちこたんに可能性を見、大きな期
待をかけているということ。聡明な女性で、叩かれたらいよいよ頑張れ
ると信じられている人、ということ、(…かな?)

ふふ♪そうですか。
では、愛の鞭ということで、潔く受けてたちましょう☆

>わたしはね、この年のはじめに自分の中で決めたことがあるんです。
1000冊の本を読むこと、それを読み終えたら、もうナンマイダ~で、思
い残すことはないから、安らかに死なせてくれ、と周囲にお願いする、
と。そんなつもりになってくると、いい本を選んで読もうとつとめま
す。くだらないものは数に入れないで、とにかく人類史のなかの宝とさ
れているような古今の名作、読まずに死んでしまったら悔やまれる、死
んでも死にきれないような世界の名著、読んでいるようなつもりになっ
ているけど、ほんとうはぜんぜん理解していなかった、というような
本。半年近くを経た今日までにカウントされる本が約70冊。まだまだ目
標には遠いのですが、困ったことが生じてしまいました。ここにきて、
視力が減退し、長時間にわたる読書ができなくなってしまったこと。い
よいよ目標は遠くになった感じで、ピンチです。焦りを覚えています。
【つづく】

分かります。私でも焦ります。
本屋は軽めの本が並んでいることが多いのでそうでもないけれど、図書
館に行くと、自分のまだ読んでない本がこんなにある!とくらっとしま
す。

半年で70冊、それでもご立派だと思いますが、1000冊読むには何
年もかかりますね。
長生きしてください!
Re:Re:Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日) [ 関連の日記 ]
がのさん (2006年06月10日 00時00分)

ちこらんたんさん 【その2】

「人と話す」=「人の話を聞く」、…大事なことですね。楽しいことです
ね。ですが、それがただの教養趣味であるかないか、八方美人のお体裁
の社交術にとどまるものかどうか、ただの時間の浪費であるかないか、
それを分けるのは、主体に芯があるかどうか、ではないでしょうか(それ
がないのは、ただの薄っぺらなお調子もの、といわれても仕様がない)。
そのことは、リンドバーグ夫人の「海からのおくりもの」にふれながら
すでに書きました。芯をもつことによってくっきり見えてくるホンモノ
の世界というものがあるように思います。自分なりの思想も価値基準も
ないまま、あれもいい、これもいいと、何でも受け入れるためには、人
間が神からさずかっている知的キャパシティは、あまりに狭く、脆弱す
ぎます。それが人間の弱さ。何でも受け入れているつもりが、じつは何
ひとつ自分の中に残っていない、ということもよくあるわけでして…。
ハハッ、ここでもチトきびしすぎることを言いましたかね。そう、期待
しているから。
 かくいうわたしも、情けないながら、いつわり多い六塵の世に漂う迷
悟の子、そんなご立派なことがいえるほどの人間ではないことも承知し
ております。ただ、たとえば、こういうところでも、ひとの語るどんな
ことばにも無意味なことばはない、として、全身を耳にして受けとめ、
できるだけ丁寧にお返ししよう、とはつとめておるのですけれど。とき
には辛口になることがあるとすれば、期待が大きいということであり、
あるいは、目だけでなくわたしの耳にも衰えが出てきたためかも知れま
せん。
Re:Re:Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日) [ 関連の日記 ]
がのさん (2006年06月09日 23時58分)

ちこらんたんさん 【その1】

>あいかわらず辛口でいらっしゃいますね。

⇒辛いですか? そんなことはないでしょう。いつもほかの人から、ち
こたんには特別に甘すぎる、何か魂胆でもあるのか、と嫌味をいわれて
いるほど。辛かったとすれば、それはちこたんに可能性を見、大きな期
待をかけているということ。聡明な女性で、叩かれたらいよいよ頑張れ
ると信じられている人、ということ、(…かな?)

>今は、人の話を聞くのが好きです。「本を読む」「人と話す」どちらも
大切だと思っています。

⇒わたしはね、この年のはじめに自分の中で決めたことがあるんです。
1000冊の本を読むこと、それを読み終えたら、もうナンマイダ~で、思
い残すことはないから、安らかに死なせてくれ、と周囲にお願いする、
と。そんなつもりになってくると、いい本を選んで読もうとつとめま
す。くだらないものは数に入れないで、とにかく人類史のなかの宝とさ
れているような古今の名作、読まずに死んでしまったら悔やまれる、死
んでも死にきれないような世界の名著、読んでいるようなつもりになっ
ているけど、ほんとうはぜんぜん理解していなかった、というような
本。半年近くを経た今日までにカウントされる本が約70冊。まだまだ目
標には遠いのですが、困ったことが生じてしまいました。ここにきて、
視力が減退し、長時間にわたる読書ができなくなってしまったこと。い
よいよ目標は遠くになった感じで、ピンチです。焦りを覚えています。
【つづく】
Re:Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日) [ 関連の日記 ]
ちこらんたんさん (2006年06月09日 15時26分)

がのさん

あいかわらず辛口でいらっしゃいますね。
私はそれほど講演会好きでもないですが、ただ最近、前より「人」が好
きになったかなって思っています。
文学少女の頃は、人と話すのが苦手だったものですから。。。
今は、(壇上の人というわけでなく単に)人の話を聞くのが好きです。
「本を読む」「人と話す」どちらも大切だと思っています。
ただ、最近本を読もうとすると、とっちらかっている家の中が気になっ
て、落ちついて読めないんです。
これが独身時代と違うところ。
挙句、整理整頓・掃除の本まで溜まってしまいました・・・
Re:Re:★読書、ブリューゲル、そして芸術に命を削る人が放つメッセージ(06月02日) [ 関連の日記 ]
がのさん (2006年06月09日 00時08分)

ちこらんたんさん

>軽い・重いどころか、最近は本自体全然読めないのが悩みです。こん
なとこ(失礼!)来てないで読め!って感じですね。積ん読が溜まってい
ます。

⇒ま、人間は本を読まないでも生きていけますので、大げさに自責する
ほどのことではないと思います。とくに多事を抱えておいでのテュータ
ーさんには、読書の時間を割くことはたいへんな努力を要することなの
かも知れません。読んでいる、といって、何も養うことのない無価値な
ものばかり読んでいる人もおりますし。
 そうはいいながら、子どもたちの前に立つ立場にある親やテューター
のような人には、“話しじょうず”であってほしいと期待しますね。
“話しじょうず”は“聞きじょうず”とよくいいますよね。安っぽい知
識をふりまわし、ものを決めつけ、知ったかぶりしてしゃべくりまくる
のは最低で、反面、ほんとうによく知った人は、まくしたてるようにし
ゃべることはぜったいにせず、ゆったり余裕をもって人の話を聞いてい
るものます。
 テューターには、この「余裕」が大事な要件のように感じています。
その「余裕」をつくるのが、人の素養であって、ゆたかな素養は、やは
り、読書を通じて獲得していくものなのではないでしょうか。講演会に
行って学者なんぞのはなしを聞くのが好きという、教養主義の人もいま
す。ちこたんもどうやらその一人と思われます。いっときだけの高揚感
に酔うことはあっても、所詮はこちらには関係のない、あちらさんのご
都合だけの牽強付会、少し時間が経てば、入っていった口と同じ出口か
ら帰ってきただけ、ということがわかってきます。どうするか。やは
り、すぐれたホンモノの本と向かい合って、自分の問題意識にきっちり
ひきつけながら、一語一語、丁寧に読んで自分の素養にすることではな
いでしょうか。たくさん読むことにはあまり意味はありません。質のい
い一冊を舐めるようにして読む、…そんな時間を生み出す努力を。
Re:Re:本のミュージアム!!
candyさん (2006年06月08日 23時37分)

がのさん
>candyさん 【その

⇒実物の作品、という意味ではなく、ホンモノのチカラをもった人、ホ
ンモノの生き方をしている人の作品、媚びたところのない、肝心なとこ
ろを逃げてごまかしているところのない、深いまなざしをもって描かれ
た作品世界ということですね。魂のありったけが注がれた、精神性ゆた
かな作品。無用な装飾には縁のない、真実だけに削ぎ落として見せてく
れる作品。そういうものには、さちこさんがおっしゃるように、サッと
血の気が退く凄さというものがあります。

→実物とホンモノ・・・納得です。

ところが、ホンモノの作品、たとえばバルラハの物を乞う人を造形した
木彫作品、たとえばブリューゲルのあの醜怪な絵を、自分の書斎に飾る
気には、なかなかなれませんよね、あの、不気味で、不快で、醜いもの
たちの跳梁する世界を(アッ、それ以前に、買うとして手も足も出ないわ
けですが)。夢にうなされちゃいますよね、朝に晩にそういうものを見て
いたら、気が休まりませんよね。

→ホンモノを自宅に飾る・・・などと考えも及びませんでしたが、それはち
ょっとね!!

でも、子どもには、うすっぺらな飾りで誤魔化したものでなく、ホ
ンモノを、できるだけ多くの機会、見せてあげたいものですね。「バベ
ルの塔」は、別々でなく、できればふたつをならべて、そのあいだに口
を開けている深層部分を考えながら見てもらうといいと思います。

→『バベルの塔』は新刊が出た時にラボッ子たちにも画集で紹介しまし
た。私とフェローのfさんとでほとんど素語り状況で発表したので、子
供たちはテーマ活動として取り上げていませんが、絵はラボッ子たちの
心にどんな印象を与えているのでしょうね。私は脳裏から離れません。
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