花がきれいですね。
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dorothyさん (2007年04月24日 08時57分)
「リラ」と聞くと、子供のころ、
道後温泉に入りにいった帰りに
立ち寄ったレストランのことを
思い出します。
お店の名前が「リラ」。
私の小さいころ(多分幼稚園のころ)、
伯母と、母や私たち家族で
道後温泉に通ったものでした。
温泉の帰りに、温泉街からほんの少し
離れたところにあるこのレストランで
一緒におやつを食べて帰るのがならい
でした。ごくたまには、昼食をとって
帰ったこともあります。
もう今では、私のことすら覚えて
いない、年老いた伯母との、楽しかった
数多くの想い出の一つが、この、
道後温泉と「リラ」です。
「リラ」と聞くたびに、花の名前、
というより、レストランを思います。
そして、若々しく元気で、どんなときでも
頼れる存在だった母や伯母のことを
思います。時は流れていくのだな、と。
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Re:Re:Re:流れない水、流せない水。
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がのさん (2007年03月31日 22時25分)
dorothyさん
>過去を水に流す。このことにおいて、日本人はとてもあっさりしてい
るのでしょうか。
制度がかわったら(トップの首がすげかわったら)、それまでのことは
全部なしにしてしまう国民性なのでしょうか・・・。
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水に流す――、忘れる、いや、忘れない、ということでオモテのほう
でいまアタマのなかにあるものを昨夜書いたばかりですが、どうしてな
のか、このところわたしの書くことがどこかで奇妙に符合するので、気
味が悪い気がしております。
今朝の朝日新聞朝刊の「声」欄のトップに出ていた「731部隊跡
首相も訪ねて」という東京・国分寺市の中学校教員の投書文。この男
性、中国・ハルビン郊外にあるその跡地へ行って見てきたといいます。
中国はここを整備して「侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館」として一般
公開、年間30万人もの人が訪れているとのこと。そして、戦争のおぞま
しさ、愚かさを後世の人類に残すべく世界遺産への登録を目ざしている
そうです。
さあさあ、日本はどうしますか。神国日本の深刻な恥、歴史から削除
できない汚点として、眼を背けつづけてやりすごそうとするのでしょう
か。これは、目先の利得に走りがちな日本人が、もっと遠くを見て、こ
のあと五世代、六世代あとの子孫の幸福と平和のことまで想像できるか
どうかを問われているのだと思います。
古代ギリシアの時代、敗戦国トロイアの王妃のアンドロマケ。生まれ
育った東洋の地から西欧世界へ引き据えられ、男どもの欲望のままに弄
ばれます。その苛酷な運命の不意打ちからも逃げることなく、自分を殺
して耐えた屈辱と忍従のなかで、心を昇華させていく強い女性。しかし
最晩年に至り、ついに東洋の地ペルガモンで蘇生したアンドロマケとい
う女の生きざまに、わたしは一つの道を見るのですが。
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Re:Re:メッセージを送りました。
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dorothyさん (2007年03月28日 10時55分)
がのさん
私からのメッセージを削除してくださった、とのこと。
感謝します。
また、S&Gトーク2も読ませていただきました。
以前、プロ野球の広島カープについて、ちょっと
耳にした軽い話を思い出しました。
広島カープにアメリカ人選手が入団するとき、
その選手はカープファンに受け入れられるか
心配したそうです。心配、というよりも戦々恐々、
という表現のほうがむしろ正しいでしょう。
自分は、原爆を投下した国の人間だから、
その被害者である広島の人がそう簡単に
アメリカ人を受け入れてくれるだろうか?と。
結果は勿論、杞憂にしか過ぎなかった、どころか
その選手の活躍に大喜びのカープファンに、
安堵した、という噂です。
その選手は、自分たちでさえ、今でも
「リメンバー・パール・ハーバー」を
標榜しているのに、とも言ったそうです。
過去を水に流す。このことにおいて、
日本人はとてもあっさりしているのでしょうか。
マッカーサーが日本に来たとき、それまで、
「お国のために」という言葉の元、神風特攻まで
していた国の人々が、どんな抵抗をみせるだろうか、
と考えた(あるいは恐れた)とも聞いたことが
あります。それが、歓待されて、驚いた、とも。
制度がかわったら(トップの首がすげかわったら)、
それまでのことは全部なしにしてしまう国民性
なのでしょうか・・・。それは、トップが
間違いを犯さないときにはとても安心で簡単な
ことでしょうが、間違いを犯さないように監視
する、ということがなく暴走したのが先の大戦
だったのではないか、とも思えてくるのです。
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Re:メッセージを送りました。
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がのさん (2007年03月28日 00時42分)
dorothyさん
【その2】
“unlearn”ということばがあるそうですね。ご存知でしたか。これは
「学ばない」というのではなく、「学びほぐす」「もう一度考え直す」
というほどの意味だとか(鶴見俊輔氏による)。さしづめ、いまわたしの
やっている読書は、むかし、大慌てで上っ面だけ読んだものをもう一度
読みほぐす、読み解き返す作業だ、と思って少しずつやっているような
ものといえましょうか。
Dorothy さんも、じかに耳にしたその歴史の真実を、セーターの毛糸
ほぐしてまた編み直すようにして、いつか、どこかで、はっきり表現す
る義務を負っているのだと思いますよ、幾世代かあとの日本の子どもた
ちのために。
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Re:メッセージを送りました。
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がのさん (2007年03月28日 00時39分)
dorothyさん
【その1】
>よろしかったら、ご覧下さい。
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読ませていただきました。
たいへんなことを聞いてしまったものですね!
ことあるごとに、中国から、韓国・朝鮮から、その他のアジアの諸国か
ら言われる日本人の「歴史認識」の欠如、または「ズレ」ですが、事
実、わたし自身の受けてきた教育を顧みても、そう批判され非難を浴び
せられても仕方ない、と言わざるを得ませんね。「いつまでそんないい
がかりをつければ気が済むのだ」という不快な反発さえ、それまでは感
じていましたが。
旧満州のハルビンに置かれた「七三一部隊(木村部隊)」が、「丸太」
と呼んで卑しんだ捕虜たちにおこなった非人道的な生体実験の数かずに
ついては、新聞雑誌などを通じておおよそのところは知っておりました
が、それは文字どおりの平面的な客観記事で、「知った」という以上に
はありませんでした。
血のにおいにまみれ、胸をえぐられる痛みをもって知ることになった
のは、松谷みよ子さんの児童読みもの、『屋根裏部屋の秘密』を通じて
でした。この作品については、「ページ一覧」のうちの「SAYO & GANO
トーク=《2》」(2005年6月10日、記す)で書きましたので、くり返しま
せん。
ラボの国際交流計画の一環で、現在、ラボの仲間が中国を訪問してい
るようですね。彼らが帰国したら、「よかった、よかった、最高!」泣
いて別れた」「また会いたい」と無邪気にいつもながらに言うにきまっ
ていますが、ほんとうにそれだけでいいのか、交流とはたったそれだけ
のものなのか、という思いがわたしにはいつも残ります。
そんななか、山口のスミティさんのパーティから参加する子どもには
『屋根裏部屋の秘密』その他を読んでから、という課題が与えられてい
ると聞きます。ご自身も昨年中国に行ってこられたテューターの、すば
らしいはからいですね。“歴史”の真実を知って、勇気をもって交流の
ウズのなかに立つ、その子の経験の質は、ノッペラボウで行って帰って
きた子とは比肩できない高さのはず。
【つづく】
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メッセージを送りました。
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dorothyさん (2007年03月27日 18時35分)
よろしかったら、ご覧下さい。
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Re:Re:Re:Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2007年03月16日 12時49分)
ばーばーじゅこんさん
【その3】
お人よしの夢を見るのが好きなレクトロはここでは小包の配達員で
す。そのガミガミ老人は、楽しみにしている小包が来なくなって、腹を
立てて恐ろしい形相でレクトロに当たり散らします。仕方なく、レクト
ロは自分の給与をはたいて、送り主をいつわって小包を届けます。その
うち、こんどはその怒りんぼの老人、いつもありきたりなものばかり送
ってきやがって、とまたレクトロに噛みつきます。はなしのオチとして
は、死亡して受け取り手のなくなったアフリカからの届けもの、ラクダ
をアパートにもっていってあげる、というもの。まあ、めったにはこん
な人はいませんがね。
一昨日も、つかまってしまって、花のこと、サクラのことをめぐって
1時間半、ひとりの在宅の老夫人と話すことになってしまいました。
わたしの関わっているかぎりでは、「おじいちゃん」「おばあちゃん」
という呼び方はしておりません。それぞれに固有の生き方をしてきた個
人ですからね。自分の肉親のように呼んで親しむのも、ときには“あ
り”かも知れませんが、やはりそこは他人、必要な距離は保つほうがい
いと、わたしも思いますけどね。
いま、テューターのみなさんに関係のあるニュースが電話で飛び込ん
できました。あとで私信メールを送ります。
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Re:Re:Re:Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2007年03月16日 12時46分)
ばーばーじゅこんさん
【その2】
最近、わたしのお声がかりで動きだしたのが、麻雀のヴォランティ
ア。痴呆防止にいいとよくいわれますよね、麻雀が。入所者たちととも
に楽しんでもらうという一方で、意外な効用をこれに発見しました。月
に3回、7~8名のメンバーで施設に訪問してもらうのですが、教える
立場にある彼らの多くは、自身も高齢で、伴侶を失って一人暮らし、ふ
だんは“とじこもり”の生活をしています。そういう人たちをコミュニ
ティの場にひっぱりだして多くの地域の仲間とふれあってもらう、たい
へんよい機会になりました。
福祉施設の運営には、いまだにさまざまな問題があります。職員や
ヴォランティアが、ご老人を幼児あつかいしがちなのも、その一つかも
知れません。やさしい気持ちが昂じてそういうことになることもありま
す。中でもむずかしいのは、ばーばーじゅこんさんのおかあさんのよう
な、高い教養を身につけ、高い教育を受け、それまでの人生でうれしい
こと・悲しいこと、さまざまなよい経験をしてこられた人への対し方で
す。その広い素養とプライドには、さまざまな配慮と努力にもかかわら
ず、経験の少ない職員などにはとてもついていけません。そんなときに
望まれるのが、世代を近くする人たちによるヴォランティア。ことばに
しないでも時代の体験を共有する人同士ということになるでしょうか。
ええ、わたしでしたら、わがままな“いじわるばあさん”、OKです
よ。たしかに、中にはキリキリと腹の立つ人もいます。プライバシーの
問題がありますので、詳しくはお伝えできませんけれど、きのう口演し
てきたばかりですが、ライナー・チムニクの「レクトロ物語」のなか
に、怒りんぽの老人が出てくる話があります。
【つづく】
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Re:Re:Re:Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2007年03月16日 12時44分)
ばーばーじゅこんさん
【その1】
> 老人問題でもう一つ。母が施設に入っていたころ、もう10年以上ま
えですが、入居している方々より、「歌はすきだけれど、どうして童謡
ばかり歌わせられるのかわからない。それに、名前があるのに、おじい
ちゃん、おばあちゃんはないと思う」などとよく耳にしました。高齢の
方とのコミュニケートは外国語より難しい。10人いらっしゃれば10人の
方が通ってきた道があり、プライドがありますもの、私は可愛いおばあ
ちゃんにはなれそうにもありません。目指すは意地悪ばあさん!!
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老人福祉施設は、わたしの関わっているかぎりでは、人びとの善意と
無私な思いがウズのように集まってつくられている世界で、とっても好
きです。先週日曜日の「感謝会」のことは、写真とともに私信メールで
ちょっとご紹介しましたね。すばらしい音に憩いつつ、ひとつの施設が
200名余のヴォランティアによって支えられていることを目のあたりにす
るひとときでした。
わたし自身の小さな努力を通じて、いまふたつの老人福祉施設に音楽
大学の学生さんに週に1回ずつヴォランティアで来てもらっています。
フルート、ピアノ、ヴァイオリンを入所者たちに聞いてもらうこともあ
りますが、いっしょに歌を唄うこともあれば、トライアングル、タンバ
リンといった楽器をご老人たちに持ってもらって、いっしょに演奏をし
ます。年に1回、その成果を、こちらもわたしの関わっている地区社会
福祉協議会の催す「ふれあいフェスタ」で発表、発表のための晴れ着を
着るという目標がたいそうな励みになっています。でも、取り上げる曲
は、どうしてもなつかしい歌、だれでもよく知っているおだやかな曲に
なります。童謡ばっかり、というふうに考える人もあるでしょうが、少
なくとも今風のわけのわからない、やかましいだけの、ジャンジャカ、
ジャンジャカは、ないですね。
【つづく】
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Re:Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2007年03月16日 00時01分)
dorothyさん
【その2】
> 今、年老いた母のことを思います。そう、若いころはまさか自分が老
眼で字を読むのがつらくなるだの、足をよたつかせながら家の中を歩く
だの、想像だにしていませんでした。
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わが身の老いを考えるのは、つらいことです。dorothy さんなどはま
だまだその実感には遠いでしょうが、それでも、50代、60代は矢のごと
き速さでやってきます。からだのあちこちがガタピシいってきます。そ
のガタピシと軋む音を心地よいバックグラウンド・ミュージックにし
て、欲をかかず、自分の持っているものをじょうずに他に譲りわたしつ
つ、どこかで多少なりとも人さまの役に立つようつとめ、5世代あと、
6世代あとの人びとの幸福な生き方を想像して今日をつつましく生き
る、自分の気持ちにウソをつかずに生きる…、そんなところでいいんじ
ゃないでしょうか。ひとのご機嫌ばっかりとっている生き方、何でも声
高にしゃべりあげて主張し、批判がましいことをいちいち小賢しくいう
のは、上等とはいえない。人と争って勝ち、金ピカメッキの勲章をもら
うつもりはないし、死んだあと記念碑を建ててもらってもしょうがな
い。
そんなふうに書いてきて思いつくのは、渋沢栄一の孫、渋沢敬三が民
俗学の徒、宮本常一氏に語ったことば、
「大事なことは、主流にならぬことだ。傍流で、よく情況をみていく
ことだ。舞台で主役をつとめていると、多くのものを見落としてしま
う。その見落とされたもののなかにこそ大切なものがある」
滋味にあふれた、いいことばだとはお思いになりませんか。先のバル
ザック「知られざる傑作」にふれたところでも書いたことですが、“何
でもないもの”が大切であって、絵においてはそれがすべてだ、と。
“旅する巨人”宮本常一氏については、郷里を同じにするスミティさん
(山口県)がいつか研究報告してくれるのではないかと期待しています。
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