Re:Re:★日本古典の世界、狂言・能楽へのいざない(06月08日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2007年06月13日 13時52分)
Hiromi~さん
>観世さんがお亡くなりになったニュースをみて、またラボに関係する
方がお一人亡くなったと思いました。「耳なし芳一」の声といい、心に
響く語りでしたね。ラボで会わなかったら、こういう関心は持たないで
しょう。一度能楽堂へ行った記憶があります。
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能楽堂にはえたいの知れぬ何かが住んでいます。いやいや、何も住ん
でいません。な~んにもない空間で、独特の空気だけが目に見えない動
きで流れています。100パーセント解放され、ムダなことばをいっさい要
しない、あらゆるクセを取り去った密な空気の流れ。
山奥の、だれも近づかない鍾乳洞の奥にいて、一滴ずつ、また一滴ず
つのしずくを耳にしているような、澄んだひびきにつつまれているよう
な、わたしは、そんな感覚に近いものをそこに感じることがあります。
わたしたちの日常は、おびただしいことばと音、ムダなことばと音の
なかにあり、繊細な神経にはつらいものがあり、繊細でない神経はます
ます鈍化し、ものごとのほんとうのすがたを感じられなくなりがちで
す。おれが、おれが…、という賎しさ、あつかましさからも解放された
世界。ええ、ときにはぜひ能楽堂へ行ってみてください。
先週末から奥美濃のほうへ旅行してきて返信が遅れました。モーレツ
な雨もありましたが、そのあとは若夏のすがすがしい好天とみずみずし
い緑にめぐまれて、日々の雑事を忘れてすごし、昨夜おそく帰りまし
た。Hiromi~さんのリッチなフランス、スイスの旅とはわけが違い、昔
の仲間とのごくつつましい旅でしたけれど、和紙と卯建の町並みの小さ
な城下町〔美濃〕や、水晶のような水と踊りの町、山内一豊夫人、賢夫
人として知られる千代の生誕地(?諸説あり)の、小じんまりとした城下
町〔郡上八幡〕などの、ゆかしい地方文化と歴史、そして素朴な自然に
ふれる、五感を洗われるすばらしい旅でした。夏の2か月間続けられる
郡上踊りの一端を習うというおまけも。
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Re:★日本古典の世界、狂言・能楽へのいざない(06月08日) [ 関連の日記 ]
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Hiromi~さん (2007年06月11日 20時55分)
ご無沙汰しております。
私も観世さんがお亡くなりになったニュースをみて、又ラボに関係する
方がお一人亡くなったと思いました。
「耳なし芳一」の声といい、心に響く語りでしたね。
ラボで会わなかったら、こういう関心は持たないでしょう。一度能楽堂
へ行った記憶があります。
惜しい方をなくしました。
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Re:Re:★宮澤賢治、夏目漱石、そして中原中也の輝き(06月02日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2007年06月05日 11時25分)
みかんさん
【その2】
>「二百十日」は大学の「新熊本学」という教科で取り上げられて、読
んだものでしたが、「弥次喜多道中」を彷彿とさせるという、dorothyさ
んの指摘ももっともですね。私は、阿蘇の草原で迷子になったあたり
が、山中で迷子になる「注文の多い…」の二人に似ているような気がし
たのですが。
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はい、みかんさんが似ていないだろうか、と見たのはそこだろうとは
思っていました。阿蘇の草千里。九州のラボ・キャンプで産山に、湯坪
に行ったことがあります。背丈ほどもある草の原を漕ぐようにして右往
左往する感覚を経験したことはありませんけれど、方向感覚も失って迷
い歩き、疲れはてたすえに、ふと目の前に見たのが、宮澤賢治の描く途
方もないレストランだったり、雨月物語の浅茅ケ宿だったり、むかしば
なしのすずめのお宿だったり…。そうした幻想と人間の根源的な不安を
高等落語のように語ってみせる漱石って、やはりタダモノじゃないです
ね。
漱石の高等落語、といえば、みかんさんには読んでもらっているでし
ょうかね、「オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて」という一文。
昨年12月9日、漱石の命日ということもあって書いた日記で、たくさん
の人に読んでいただきましたが、「吾輩ハ猫デアル」初版本をめぐっ
て、漱石のことをあれこれ書かせてもらいました。まだお読みいただい
てないようでしたら、12月9日の日記か、それを転記した「物語寸景(2-
4)」をご一読くださいませんか。
>>最近、パーティで「猫の王」に取り組み始めたので、根子岳の伝説
や、阿蘇の民話等も調べてみようかと思っているところです。イギリス
の昔話ですが、何か因縁めいた、縁を感じます。
⇒阿蘇の民話、根子岳の伝説、ぜひご紹介ください。どんな物語がある
んでしょうねぇ。いいものがありましたら、みかんさんがリライトなさ
ってラボ・ライブラリー作品として提案なさいませんか。よそからの借
り物でない、そういう物語が恋しいですね。
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Re:Re:★宮澤賢治、夏目漱石、そして中原中也の輝き(06月02日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2007年06月05日 11時21分)
みかんさん
【その1】
>NHK教育テレビのテキストでしょうか? 書店で手に取った「知る
を楽しむ・私のこだわり人物伝」7月に「夏目漱石・悩む力」のことが
書いてありますが、やはり作品をもう一度読み直すべきかな、と思いま
す。
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一般的な教養として、アクセサリーとして読んできた漱石。青春の輝
きのなかにその印象は色褪せず残っています。漱石のおもしろさと彼が
投げかけている生き方の問題、近代人の悩みの根源は、この年齢になっ
てようやく、少しわかった! という感じ。わたしのようなオタンチン
は、漱石がこもった鎌倉・円覚寺の帰源院で1週間ほど座禅をさせても
らってこころを洗い、じっくりと考えるといいのでしょうが、思うだけ
で果たせずにいます。ええ、みかんさんにはぜひもう一度お読みいただ
きたいと思います。
でも現実、目先のことに追い回されている人には、なかなかその意識
を共有する余裕はないんでしょうね。グローヴァルな思考力をお持ち
で、たとえばスリランカの教育にもかかわっておいでのみかんさんのよ
うな人は別として、きょうのこと、あしたのことで精いっぱいという人
にとっては、漱石も鴎外も中原中也も、ラボ・ライブラリーに入ってい
ませんので(鴎外には「山椒大夫」がありましたね)、とりあえずは関係
ない、まあ、余裕ができたらそのうちに…、となって、ついにまったく
触れることなく終わりがち。いえいえ、バルザックの大作に食いついた
Play with me さん、前関西支部テューター代表のようなすごい人もおい
でですけれど。
こちらBBSのほうではかなり勝手なこと、悪ふざけも含め気ままなこと
を自由に書かせてもらっていますが、オモテの日記のほうは、広く目に
ふれるところですので、極力、みなさんの活動と「遠すぎず、また、近
づきすぎず」という距離を置いて書くようにしてきました。いまはぜん
ぜん違う世界に生きているわたしのようなものがここでいい気になって
書いても仕様がありませんので、せいぜい月に1本か2本にとどめてい
ます。【つづく】
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Re:★宮澤賢治、夏目漱石、そして中原中也の輝き(06月02日) [ 関連の日記 ]
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みかん(でこぽん)さん (2007年06月05日 00時33分)
漱石をめぐっては、「門」「それから」「こころ」などに見る近代人
の苦悩を、古都鎌倉の名刹・花めぐりとともにご紹介したいところです
が、この「ひろば@」では浮いた話題で、あまり関心をもたれることもな
いでしょうから、やめときます。
ーーーーーー
そんなことをおっしゃらずに、是非、お願いします。NHK教育テレビ
のテキスト?でしょうか?書店で手に取った「知るを楽しむ・私のこだ
わり人物伝」7月に”夏目漱石・悩む力”のことが書いてありますが、
やはり作品をもう一度読み直すべきかなと思います。
「二百十日」は大学の「新熊本学」という教科で取り上げられて、読ん
だものでしたが、知っているつもりで、よく知らない作品や、すっかり
忘れてしまった作品も多く、今、また読み返してみると、きっと、受け
取り方や理解が違うのだろうと思います。
「二百十日」は「弥次喜多道中」を彷彿とさせるという、dorothyさんの
指摘ももっともですね。私は、阿蘇の草原で迷子になったあたりが、山
中で迷子になる「注文の多い・・・」の二人に似ているような気がした
のですが。
最近、パーティで「猫の王」に取り組み始めたので、根子岳の伝説や、
阿蘇の民話等も調べてみようかと思っているところです。イギリスの昔
話ですが、何か因縁めいた、縁を感じます。
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Re:Re:★宮澤賢治、夏目漱石、そして中原中也の輝き(06月02日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2007年06月05日 00時10分)
dorothyさん
【その3】
優秀だったはずの少年が道を踏み外して文学の藪の深みにはまって迷
うようになったのが、このときの朔太郎の詩との出会いでした。ですか
ら、朔太郎の修羅も虚妄も、苦悶の痛みも恋も破滅も、デカダンも恨み
も憤怒も悲しみも、それはすべて、むこうのほうに隔てられてある抽象
ではなく、すべてがわたし自身の体温のなかにあるものなんですね。生
涯、秘めたまま貫いたエレーナへの純愛と幻想の官能も、朔太郎のもの
であるよりもむしろわたしのものなんですね。こりゃあ、もうどうしよ
うもないです。
おっとっと、…ずいぶん話が逸れてしまいました。ここは朔太郎のこ
とを語るところではなかったですね。ごめんなさい。
漱石をめぐっては、「門」「それから」「こころ」などに見る近代人
の苦悩を、古都鎌倉の名刹・花めぐりとともにご紹介したいところです
が、この「ひろば@」では浮いた話題で、あまり関心をもたれることもな
いでしょうから、やめときます。
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Re:Re:★宮澤賢治、夏目漱石、そして中原中也の輝き(06月02日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2007年06月04日 21時39分)
dorothyさん
【その2】
インクの色も落ちた、ほこりまみれのその文芸誌から数十の短歌と詩
を拾い、記念誌をつくろうと、高校に入ったばかりのすこしおませな男
の子が、ああでもない、こうでもないと不器用な手つきで進めていまし
た。当初はごくつつましいものを、とのつもりでしたが、「朔太郎の短
歌が掘り起こされた!」「朔太郎の幻の詩、あらわる!」というニュー
スが中央にまで流れると、すごいんですよ、じゃんじゃん問い合わせが
舞い込み、依頼をかけたわけでもないのにそうそうたる詩人たちがつぎ
つぎに寄稿してくれ、記念誌はあれあれという間に分厚いものになって
いきました。
伊藤信吉、谷川俊太郎、高橋信吉、村野四郎、東宮七男、三好豊一
郎、渋谷国忠、町田嘉章、高橋元吉、白鳥省吾、長瀬清子、菱山修三、
中川与一、能村潔…。これをきっかけに、このあとすぐ、中央で第一次
朔太郎ブームが起こりました。朔太郎の娘の葉子さん、妹の愛子さんに
も寄稿をお願いして、と、どんどん計画はふくらんで、わたしたちの手
にあまるものになると、地元新聞社も協力の手を貸してくれ、思いがけ
ないほど立派な記念誌ができました。
朔太郎の死後、葉子さんは父朔太郎をめぐるいくつもの作品を書いて
いますが、書くことなどまったく考えたこともなかったという彼女がも
のを書くはじめとなったのが、この記念詩「桑弓」でしたね。
前橋の代表的な公園、敷島公園の一角に記念碑がたったのもその前後
でした。「わが故郷に帰れる日/汽車は烈風の中を突き行けり/ひとり
車窓に目醒むれば/汽笛は闇に吠え叫び/火焔(ほのほ)は平野を明るく
せり。/まだ上州の山は見えずや。」(「氷島」より「帰郷」)
高校にほぼ隣接して二子山古墳があります。彼の若いころの詩に「二
子山附近」が。そこは当時、緑深い公園のようになっていたのですが、
授業を抜け出してそこに来て、朔太郎を気取って草の上に臥し、下のほ
うをごとごとと走っていく列車を眺めてすごした幾時間かも。
【つづく】
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Re:Re:★宮澤賢治、夏目漱石、そして中原中也の輝き(06月02日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2007年06月04日 21時37分)
dorothyさん
【その1】
>中原中也と萩原朔太郎、どちらもシュール、という点で似ている、と
言えなくもないように思います。また、系譜からいっても、中原中也と
朔太郎は似ている。いうとむしろ室生犀星に近く感じます。
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中原中也や立原道造、宮澤賢治、あるいは室生犀星、佐藤春夫、三好
達治、高橋元吉、萩原恭二郎、西脇順三郎、……などなど、国内でいえ
ばこうした詩人の詩に若いころから親しんできましたが、萩原朔太郎と
なると、わたしにとっては、まったく別格なんですね。まったく違うと
ころの存在。文学史的には、高村光太郎が「日本近代詩の父」であり、
朔太郎は「日本近代詩の母」といわれます。そんな称揚のされ方をされ
ても、わたしにはぜんぜん納得するものがありません。どういえばいい
のかわかりませんが、「父なる天神」とでもいうか、ギリシア神話にな
らって言えば「ガイア」とでもいうか、デメテルのような地母神のよう
な存在、とでもいうか…。シュールでもサンボリスムでもレアリスムで
もリリシズムでもない、朔太郎の詩は朔太郎だけの詩で、わがままを言
わせてもらえば、だれかの詩に似ている、なんていわれるのが、いやな
んです。理由は、…ない、としかいえませんが、…そう、理由なんてな
いんです。
郷里を同じくする詩人です。高校(朔太郎の時代は中学と呼んでいまし
たが)の先輩で、わたしが高校へ入った年がちょうど創立80周年でして、
何か画期的に記念になることをやろうじゃないか(高校入試の少し前に校
舎の半分を焼失する火事があり、そのショックを払拭しようという意気
がはたらいていたでしょうか)という気運のなかで取り組んでいるうちに
発見したのが、朔太郎の短歌。
ずうっと以前につくられていた校内の文芸誌「坂東太郎」にたくさん
書いていたものでした(坂東太郎とは利根川の別称)。探しているうちに
十数編の詩篇も出てきて、び~~っくり!
【つづく】
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Re:★宮澤賢治、夏目漱石、そして中原中也の輝き(06月02日) [ 関連の日記 ]
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dorothyさん (2007年06月03日 19時57分)
中原中也と萩原朔太郎、どちらもシュール、という点で
似ている、と言えなくもないように思います。また、
系譜からいっても、中原中也と朔太郎は似ている。
三好達治は、朔太郎に師事していましたが、系譜から
いうとむしろ室生犀星に近く感じます。
宮沢賢治と夏目漱石。「注文の多い料理店」と
「二百十日」。若い二人がかけあいのように
話している、という点では似ているのかな?
とも思いますが、むしろ、「二百十日」は
「弥次喜多道中」を彷彿とさせられますね。
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Re:Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2007年06月03日 14時42分)
Play with meさん
>『ゴリオ爺さん』の「下」を読み終わりました。哀れな父性愛の結末
に心を痛めると同時に田舎から出てきた青年ラスティニャックの生き方
にも興味を持って読みました。はじめは学問も同時に修めようと思った
けれど結局はパリの社交界に落ち込んでいく様、しかしゴリオ爺さんの
最後を走り回って、お金を工面して見取ったことに青年の純粋を見て安
心しました。でも最後は社交界に戻り、立身出世を夢見るのですね。
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若者の一途な野心、そして老人の娘たちへの偏愛。客観的に見ると愚
かしいようですが、それは、悲しいまでに人性の真実を描いている作品
でしたね。日々の雑事に追われていると、「いまさら…」との思いもあ
り、ずしりとしたこういう大作には立ち向かおうとの気持ちもおこりに
くく、せいぜい鞍部の低い手軽なものを読んですましがちですが、Play
with me さん、さすがです、すごいです、よかった、よかった。
あまり人が近づかない日本古典を読み通したあとにも、それに似た充
実を覚えるこのごろ。わたしには、つもりはあってもなかなか読書の進
まない本がいくつかあります。たとえばダンテの『神曲』やゲーテの
『ファウスト』。読みとおせないでいるのに言うのはおかしいですが、
こういう人類の宝とすべき作品を知らずに死んでしまったら、人生って
何なのさ! と大きな忘れものをしたように思ってしまうような気がし
ます。
ペッカペカの、うすっぺらな知識を広げるだけの作品は、もういい。
中原中也のいう「静かな部屋」「郊外の道」でゆっくり自分の心の呟き
を聴きたいと、そんな気持ちになったときに読む作品としては、バルザ
ックの作品などはうってつけかも知れませんね。
そういいながら、まあまあ、どうしようない世塵のうずに引きづりま
わされるわたしの日々。読書が進まないのが悩みです。ほんと、思って
もみなかったほど、たいへんなことになってしまいました。お役御免の
日まで、このいらいらを抱えてすごすことになるのでしょうか。
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