|
|
|
|
|
[一覧] << 前の日記 |
次の日記 >>
|
子ども英語教室:ラボOBの現在・Y君 |
01月15日 (火) |
|
新年の挨拶も、年賀状からメールやフェイスブック等もあり多岐にわたり、世界も飛び交っております。この時期の交信からの1人、我がパーティ出身のラボッ子OBのN,Y,君について、書きたいと思います。
彼は現在アメリカ在住です。
University of Southern California(南カリフォルニア大学)で
Postdoctoral Research Associate (博士研究員)として働いております。
彼は地元の進学校を出て北海道の大学から、名古屋大学大学院へ進み医学系研究科、そしてテキサス州ヒューストンにあるBCM(Baylor College of Medicine)に留学、その後も
夢を持って現在の大学で働いて頑張っておられるそうです。
ラボに在籍した先輩が、夢をしっかりと現実に引き寄せて頑張っている姿に感動しております!是非皆様に披露し、後に続く子ども達が明るく、未来に大きな夢を抱き進んで欲しいと紹介しました。今度は本人からメッセージを頂きたいと思っております!
ご期待下さい。
ここに本人からのメールの一部を転載させて頂きます。
「仁衡 先生
ご無沙汰しております。
先生もお元気でいらっしゃるということを母から聞きました。
仁衡パーティー35周年記念文章
(注:夢を大事に育てよう!と言う私の文を読んでくれたのです。)
拝見させていただきました。おめでとうございます。
現在、僕はロサンゼルスにある南カリフォルニア大学で働いております。
思い返せばアメリカに初めて来たのはラボで14歳の時に行ったアメリカ
ホームステイでした。
ラボで行った当時の1ヶ月の経験はとても貴重なものでした。
外の世界への好奇心を抱かせてくれたのはラボだったのかもしれません。
自分はまだまだ若輩者でありますが、機関誌等への執筆に関しましては
そのような機会を与えていただけるのであれば、是非担当させていただきます。
よろしくお願い致します。
また、お会いできる日を楽しみにしています。
良い年をお迎え下さい。」以上が彼からのメールです。
ラボ国際交流では 1995年、中2で北米オレゴン州参加,1ヶ月のホームスティに参加しました。ラボ・パーティと同時期ボーイスカウト活動にも熱心に取り組んでいました。
3人きょうだいの長兄として、ラボも一緒でした。
ご両親はボーイスカウト活動や地域のボランテイァ活動等幅広く活躍されていらっしゃいます。「チェリノブイリの原発事故で被爆した子ども達を救おう会」のメンバーで活動さ
れていますので、ラボの子ども達との交流もさせて頂いた事もあります。
ラボの機関誌「ことばの宇宙」1993年 7月号 通巻288号 では <特集=宇宙記者特派員報告/街があり、人がいて、ラボがある>の所で取り上げて頂いた事があります。
”ベラルーシのこどもたちとラボ” 「いのちのたたかいをおうえんしたい」
日立 仁衡パーティ
この記事はスキャンしてUPしたいのですが、次回にさせて頂きます。
同時期の「ラボの世界」のPhoto Gallery の欄では”ロシア語をおぼえたよ!”
ーベラルーシの友だちをむかえてー の所ではラボ・ライブラリーの「かぶ」のラボテープにあったロシア語の「かぶ」でテーマ活動をしている写真を載せて頂きました。
海外で頑張って輝くラボッ子OBの紹介でした。続きはまたの機会に!
最後迄お読み下さり感謝。
是非お子さん達が夢を持って、大きく羽ばたく手助けをしたいものです。
|
|
|
<< 前の日記 |
次の日記 >>
|
|
|
|