「青い目の人形」の答礼人形「筑波かすみ」のこと |
10月08日 (月) |
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「青い目をしたお人形は、アメリカ生まれのセルロイド 日本の港に着いた時
いっぱい涙をうかべてた 私はことばがわからない 迷子になったら何としょう かわいい日本のじょうちゃんよ 、、、」と言う歌で知られた「青い目の人形」については歌でしか知らなかったが、数年前「ラボ国際交流」に関する会合や文書で事務局のY氏から、歴史的なお話を伺い感動したものだった。
国際交流に旅立つ子達とそのご父兄には、プリントで必ず読んでいただいていた。そのお話の人形展や講演が5月から6月にかけて県内各所で開かれていました。
この写真や一筆箋はその時のものを頂きました。
残念ながら私は見られませんでした!本当に残念です。
内容は簡単に説明しますと、1929年アメリカから「青い目の人形」が日本の子ども達にプレゼントされました。
でも戦争がおこり、焼かれたり、壊されたりしてほとんどなくなってしまいました。でも可愛い人形には何の罪もないと、優しい心の人たちに助けられて生き延びた人形達がいました。
茨城県にもいたのです。そのなかの一部が展示されました。
それとは別に「青い目の人形」の答礼人形として1927年アメリカに日本人形を贈ったのです。
「友情の手紙」「パスポート」「査証」を持ってミニチュアのお道具と共にです。人形は都道府県にちなんだ名前をつけられました。
茨城県の人形は「筑波かすみ」です。詳しい事は省きますが、本当に心温まる心の交流があったのですね。世界中が平和であってほしいものですね。
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Re:「青い目の人形」の答礼人形「筑波かすみ」のこと(10月08日)
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サンサンさん (2007年10月09日 06時27分)
HITYACHIさん、
大きなかぼちゃをありがとうございました。
ハロウィーンの時に、カービングをして
写真を撮り、アップしようと想っています。
ところで、この蒼い目の人形のことですが、
実は沖縄でそのお人形をもらったのが私の母だったのです。
その写真は今でも母の手元にあります。
で、「青い目をしたお人形は」という、武田英子さんの本の69ページ
には母のことも載っています。
武田さんは当時石垣島に住んでいた母の元に取材に来て下さって、NHKで
放映された番組では母の舞踊も披露されていたようです。
青い目の人形というと、あ~、母がもらったという人形だぁと思い、飛
んできました。
ほとんど焼かれてしまったのですよね。
残念なことです。
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Re:Re:「青い目の人形」の答礼人形「筑波かすみ」のこと(10月08日)
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HITACHIさん (2007年10月09日 16時21分)
サンサンさん
>大きなかぼちゃをありがとうございました。
ハロウィーンの前に包装用の黒のガムテープで目や鼻、口を貼るととても可愛
いと言う事です。是非今の時期も楽しんで飾っておいて下さい。そういう私も
明後日貼ってみます。
>ところで、この蒼い目の人形のことですが、
実は沖縄でそのお人形をもらったのが私の母だったのです。
青い目の人形というと、あ~、母がもらったという人形だぁと思い、飛んでき
ました。<
<すごい!HPに書いてみるものですね。身近な方にこのようなことを聞ける
なんて!うれしいです。が悲しいですね。
サンサンさんには色々沢山の物が詰まっていて、あふれ出てくるみたいです。
これからも色々聞かせてください。武田さんの本は購入して見なくちゃ。>
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