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フリージアの会の報告 |
10月16日 (日) |
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少し遅くなりましたが、13日のフリージアの会で心に残ったことを書いておきます。
「自分のお子さんがテーマ活動を重ねる中で身についてきたと思われるちからについて書いてください」というアイスブレークからはいりましたが、テューターが感じているものとお母様方が感じていらしゃるものとの違いを感じました。どうちがうかについては、3回会が終ってから分析したいと思います。
やはり、素語り体験報告が心に残りましたね。きっとみなさんもそうではないかしら。 今回キディGから3人の素語り報告をしてもらいましたが、夏の合同パーティでも紹介したように、この3人意外の子も素語りに挑戦しています。部分的ではあっても、CDそのままに、一人での語りをみんなの前で、披露することに、素語りの意味があると私は思っています。つまり、一人で自分からCDに向かい、自分の声をCDと比べることに意味があると思うのです。だから、この夏やった子は全員経験しているわけです。小学生Gになっていくとそういうことを自然にやるようになり、その準備としてもちょうど良いかなということと、今のキディさんならきっとみんなできるだろうという想いから今回挑戦してもらったわけです。
テューターとしては、学校英語が始まって、見て覚えるようになって、急に発音が悪くなる中高生にも是非挑戦してもらいたいと思っています。
13日には、昭ちゃんが、「報告会のときよりも今の方がもっと上手になっていたような気がする」というママからの報告が嬉しかったですね。きっと、「かいじゅうたちのいるところ」は、彼にとって英語で言えると言うだけのものではない、もっと心の栄養になるお話になっていくでしょう。40歳になっても、50歳になっても、ふとした時に口から出てくるお話になったのではないかしら。私達が子どもの頃にあまり意味も解らず歌っていた流行歌を今でも口ずさめるように。
だれでもできる素語りを、彼の域まで高めるものは一体なんでしょう?
それは、やはり、本人がそのお話が大好きということじゃないかしら?ホームステイの素語りを選ぶ時も、短いから、とか言い安いからと言って選んだときのパフォーマンスと自分が好きだからと言って選んだ時とでは、仕上がりに大きな違いが出ますもの。
『本人のやりたい気持ちが先行しないと成功しない』と言うのはそういう意味です。
そういう意味からもなかなかできない体験だったのではないかしら。
大きくなってからもそういう体験をしてくれる子が出ることを願うけれど、忙しいからなかなか難しいのよね。
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