「笑い」とはとても主観的なもの |
05月13日 (金) |
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原昌氏による教育講演会「英米児童文学の笑い」に参加してきました。
笑い=なにか可笑しいこと、だけど客観的な定義付けなんてあるのだろうか、と思っていました。 ですから、冒頭の「笑いとは、受取り手の主観的なものです。子どもも同じで心の状態により、ゆとりがないと笑えません。」という言葉に安心しました。
おかしさの種類や、国(民族・国民性)によって笑いの質が異なることなど、具体的な作品を例にお話ししてくださいましたが、「児童文学において、笑いは目的ではなく、その奥に作者のメッセージが潜んでいる」という言葉に深く頷きました。 子ども達が、笑いに導かれてお話の本質に触れていくことが自然で、大事なことなんですね。 だとしたら、私達は子ども達が笑える心でいられるようにしてあげなくてはいけないのだなぁ、と思いました。
最後に、原氏が紹介してくださったトミー・デ・パオラの言葉をここにも紹介します。
「笑うことは、すばらしい音楽だ。 誰にもわかることばだ。」
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Re:「笑い」とはとても主観的なもの(05月13日)
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ぼっくりさん (2005年05月14日 08時41分)
講演会に行けなかったので、ちゃおさんの日記から内容が少しでも
わかり、よかったです。
笑いはやはりゆとりの中から・・・専門家の方に言われると、確かに
改めてホッとする感覚があります。
日常生活で余裕がなくなると、笑いも一緒に消えています。
そして、まわりへの接し方にも関わってくるんですね・・・!
笑う門には福来たる、を久しぶりに思いました。
新刊ライブラリーの中の、”笑い”がどんな風に仕上がっているのか
本当に楽しみです。
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Re:Re:「笑い」とはとても主観的なもの(05月13日)
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ちゃおさん (2005年05月14日 13時01分)
あまりに簡単な報告ですみませんでした。
個人的には、国民性による笑いの違いが興味深かったです。 理知的な
フランス、ナンセンスと調和を楽しむイギリス、ほらばなしが特徴のア
メリカ、日本は庶民の間でこっけいばなしが語られていたなど。
でもおかしい、と感じるのは常識や、当然予想されたことのずれであ
ることだから、人生経験の少ないこどもたちには難しいことがあります
よね。 だからこそ沢山の実体験とお話しに触れて豊かな心と余裕のあ
る心にしてあげないと、と思うのです。 そうしていろいろなおかしさ
に大笑いしたり、くすっとしたりできたら人生がもっともっと楽しくな
るじゃあありませんか! ね。
ぼっくりさん
>講演会に行けなかったので、ちゃおさんの日記から内容が少しでも
わかり、よかったです。
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