文藝春秋の「目をつむれない子供たち」を読んで。 |
04月21日 (木) |
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文藝春秋5月号の中の「教育再建」という特集の中のひとつだが、タイトルが示すようにちょっとショッキングな内容だった。執筆者は作家の藤原智美さん。
頭の中にイメージを描けない子供たちが増えているというのだ。目をつむれないというのは、何かを思い浮かべるため目を閉じてみようというときに、閉じていられないということらしい。たとえばキュウリを描いてみてといっても、キュウリを知っているにもかかわらず、自分の頭の中にキュウリのイメージを作り出すことができない。できないので絵に描けない。ある絵画教室で「遠足」をテーマにした絵を描かせたところ、ある小2の子が1時間かけて描いたのが茶色のかたまりがひとつ。聞くと「お弁当のから揚げ」だった。場面として画用紙いっぱいにまわりの風景や友達などを描く子が減っているという。
このような描写力だけでなく、語彙も減っていて話す力そのものも落ちているという。筆者は、この2つを関連付けている。つまり言葉がたばねられて想像力として開花していないから、イメージを膨らませることができないと。
「イメージを膨らませる」ということは、ラボでは当たり前のように語られる。そしてそれが、豊かな言語活動の大切なキーワードだということも。この文藝春秋のルポを読んで、あらためて再認識した。今、支部の教務では、言語習得の道筋をさぐるとして、こどもたちのテーマ活動時における会話の記録や描画活動もシエアしていく研修が始まろうとしているが、「ことばがたばねられて想像力として開花したもの」として見ると、ラボっ子たちの絵が、たくさん語るものを持っていることに気づきそうだ。絵が描けるということはすばらしいことなのだ。
このような子供たちの変化の原因として、幼児のまっさらな脳が、超早期教育にみられる一方的な知識の導入や身体性の伴わない学習などから影響をうけて変化をしていることを挙げている。
私は、「想像できない」子供たちの事例が出てきているということにショックを受けた。子どもは本来想像力が豊かだと思っていたから。「イメージ」が描けない子は、どうやって抽象概念を理解していくのだろう。外国語どころではない言葉そのものの危機である。
「ことばがこどもの未来をつくる」の意味を重く受け止めた日だった。
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Re:文藝春秋の「目をつむれない子供たち」を読んで。(04月21日)
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Play with meさん (2005年04月22日 10時31分)
タイトルにひかれてやってきました。
本当にショッキングなことです!!
いっぱい知識は持っているけれど、イメージが膨らまない子供に出会う
とき、どんな声賭けをっすればいいのか悩みますね。個々それぞれ違う
でしょうが、絵の描けない子供やお母さんが、1~2年もすると、悩まず
書いている様子に出会ったとき、「よかった!!」と思います。
心がとき放たれることを望まずにはおれれませんね。
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Re:Re:文藝春秋の「目をつむれない子供たち」を読んで。(04月21日)
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めぐこさん (2005年04月22日 22時40分)
Play with meさん
>タイトルにひかれてやってきました。
本当にショッキングなことです!!
いっぱい知識は持っているけれど、イメージが膨らまない子供に出会う
とき、どんな声賭けをっすればいいのか悩みますね。個々それぞれ違う
でしょうが、絵の描けない子供やお母さんが、1~2年もすると、悩まず
書いている様子に出会ったとき、「よかった!!」と思います。
心がとき放たれることを望まずにはおれれませんね。
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本当のそう思います。英語と直接関係ないような活動をラボではたく
さんしますが、とっても重要なことだったんだと改めて思いました。大
人たちが、子供たちにとって本当に大切なことを真剣に考える時期にき
ているような気がします。
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